2020年6月18日木曜日

自分を記述する試み(2

昨夜は全く眠つけなくて、開き直ってブログを書きはじめた。12時過ぎても夜更かししたのは何年振りだろうか。

最近、年上の知人と話していて、私の持病について、具体的な落とし所もなく責められた。その知人とは信頼関係を築いて来たつもりだったし、自分も心を開いていたので、その不意打ちにとても傷ついた。結局、その件は共通の知人が間を取り持ってくれて、なんとか収まったのだが。

しかし、その時感じた「自分で自分を把握できない苦しみ」「それを周囲が理解してくれない苦しみ」が持つ痛みの味わいには、懐かしさがあった。私はこの痛みを知っている。

10代の頃、小6最後の頃〜中学〜高校という時期、「引きこもり」として過ごした。中3以降は体調がいい時だけ、無理ない時間に登校したので、学校に友人はいた。

家では親が「何故学校に行ってくれないのか」と苦しんでいるし、学校ではクラスメートが「佐々木ってなんで学校こないわけ?」と無邪気に茶化しながら聞いてくる。

きちんと敷かれたレールを踏み外したのだから、何か理由があるはずだ、それを説明しろ、説明しないなら努力を見せろ、迷惑や心配をかけてすまなかったと周囲に謝れ、などと言われ続ける暴力は、10代から30歳頃まで続く。そんなに長い間、同じことを言われ続けると、自分には致命的な欠陥があって「普通」に生きることができないのだと思うようになった。そのような暴力を器用にかわしたり、抗弁するということが、生来下手なのだと思う。

そんな中での救いは、音楽を聴くこと、散文を読むこと、映画を見ること、などなど。引きこもりの時期と被るように始まった、文化的な創作物に触れる時間で、私はようやく、深夜にひとり、息ができた。そしていつか自分も作品を創りたいと思っていた。他人が私という人間を理解することは未来永劫起こり得ないが、「作品」を媒介に私は他人と繋がれると直感していた。

そして、その直感が確信に変わる時が来る。2017年から始めたソロ・パフォーマンス"a440pjt"で、観客の全員ではないけど少なくない人数が集中して興味を持って見守り、惹きつけられている、と実感できる瞬間が、複数回の公演の中で起こった。私は自分の内側と外の世界との接点がようやく生まれた感じがした。

自分が美味しいと思ってる料理を振る舞ったら、黙々と夢中に食べてくれる人がいたという発見に近いかもしれない。味の感じ方は人それぞれだし、歓声などでリアクションしてくれるわけではないけど、自分が良いと信じて紡いだ時間と空間に夢中になってくれているのは伝わる。

初めて他人とつながれた。その手応えは、何ものにも代え難い経験になる。ライブでしか起こりえない、その実感は、私には生きていく上で必要不可欠なのだ。つながりが持てなければ、他人とは相入れなくなってしまう。多くは書かないけど、自分がつながりを持てないままだったら、他人から受けてきた暴力を暴力で返すしかなかっただろう。私はただただ幸運だったという他ない。

2020年6月6日土曜日

観測気球

昨日ブログを書いて、これは沼に足を踏み入れるなと思いながら公開した。
近況をなるべく「美しく」描写しようとしてみる

沼と言うのは、私が関わってきた演劇やダンスにおいて労働問題を取り上げることの難しさ(敬遠とか、黙殺とか)のことでもあるけれど、自分が今まで半生を捧げてきたものを疑うというのは、なかなかにしんどい。

何に感動し、信奉してきたのかについて語るのは非常に難しいので、今の違和感を、なるべく簡潔に述べることにしようと思う。

ー観客の視線について
観客の前に晒されれば、自分が今、視線を惹きつけているか、そうでないかは、どんなパフォーマーでも感じると思う。観客側だった視点から言えば、仕方ないことだと思うのだけど、パフォーマー側からすると一瞬一瞬成功と失敗のフィードバックが起こっている。高所で綱渡りしてる快楽や恐怖と似てるだろうか。もちろん、そこに快楽もあるから何度も舞台の上に立ち続けるのだけど。果たして、それに見合うだけの「対価」を得ていたと言えるだろうか。

ー「犠牲」の多さ、大きさについて
そして、そのフィードバックに耐え得る為に、アーティストは自分を開示し、晒し、破壊し、時に搾取し、時に売り渡し、綱渡りの精度を上げる。それが生活を侵食していることは、果たしてアーティスト側以外に広く共有されていたのだろうか。もしそれをわかった上で観客席に座り続けるなら、それに見合うだけの対価を支払っていたと言えますか?

ー「村人全員が犯人」
以上のことは当たり前すぎて、アーティストやパフォーマーは受け入れて、舞台に立っていた。そこに付随する暴力的な構造について、誰も批判しなかった。批判できなかった。より面白いものを無邪気に求めた。助成金が下りなかったからと言って、チケット代は高くできなかった。しわ寄せは誰にいった?プロジェクトにお金がないのは当たり前すぎて、「仕事」の多くは金額を明示されないのも当たり前だった。より面白いものを無邪気に探求し晒し続けるのが当たり前で、暴力的な構造、理不尽さに目を瞑った。


では、私に何ができるだろうか。今は過去を振り返り言語化することだけだ。まだ今後どういった活動ができるのか、自分でも確信を持てずにいる。だからといって、やめないしあきらめない。当面は考え続けたいと思う。

2020年6月5日金曜日

近況をなるべく「美しく」描写しようとしてみる

2月に子供が誕生したのだけれども、今はコロナ疎開で離れて暮らしている。毎日ビデオ通話越しに見る成長は眩くて、自分の目が少しタレたと鏡を見て知る。そして、恐らく今まで人生で経験してこなかった種類の笑顔を獲得していると思う。

PCがクラッシュしたこと、コロナ禍で自分の創作活動の先行きが見えないこと、そしてバイト休職による多大な時間は、私自身の中に潜んでいた様々な制約を溶かしていっている。制約と表現したけれど、それは極めて暴力的であるという意味で、差別や偏見に近いものなのではないかと、#black lives matterの動向や、日本国内の反応、カナダのトルドー首相の会見などを見て思う。

「舞台芸術」という言葉は、音楽は後塵を拝しているというか、往往にして漏れてるのが当たり前で、音楽をベースとする自分としては使い難い時もあるのですが、今はその、音楽が漏れ落ちた文化のお話をしたいと思います。

昨今話題になったリアリティ番組の、犠牲者のことを全く知らないのだけど、パートナーがその番組を見ていて「プロレスラーのまっすぐな女の子」という情報だけで、胸が痛い。そして、翻って「舞台芸術」の作家、演者、愛好者と、それに携わる人間の中でどれだけの人が、この事件を我が事として捉えられたか。私には、この犠牲者への誹謗中傷とその苦悩を全く知らずに「番組を無邪気に楽しんでいた人たち」と同質のメンタリティが、あったことを告白したい。

リアリティ至上主義、とでも言えようか、演者が舞台上で「我が身を切って立っている」ことへの、「感動」だと呼んでいたものについて、同質だと直感している。「いま、この場で、我が身を切った」という感覚は、単に服でも脱げばいいというようなお話ではなく、膨大な量の時間と労力をかけながら尚、何かに接近しようとする「純粋な」意志だと、仮に説明してみる。もちろん、これは観客としての視点だけでなく、作家、演者としても、そのように感じていた。

現代的な演劇やダンスの公演を観ていて、そのような評価軸を自分の中に置くのは、非常に意義があるように感じていた、すなわち「いま、この場に」いなければ感じられなかった感覚だったので、無邪気にそれに酔い、また、それへの接近を目指していた。

しかし、それを「小劇場ならではのライブ感」と置く評価軸は、文字通り、生命への危険を孕んでいたのではないか。そして、その危険の可能性をわかった上で、たかだか3,000円くらいのチケット代で提供したり、享受してきた。いや、料金の多寡ではない。が、いま、それを反省するべき時だと思う。

それを「感動」と呼び作家や演者を賞賛しながら、人ひとりの生活というコストを支払わせている事実は、「暗黙の了解」と呼ぶには、あまりに暴力的な上、なんの保証も補償もない世界だということを、みんな熟知していて、そこに与していた自分は主犯だったと思うのだ。

そのことへの反省を、恐れを、そこに与してなかった人にも伝わるように描きたいとは思うのだが、まだ冷静には書けずにいる。なので、少し、これからのことについて考えてみたい。

まず、「雇用」ないしは、「契約」を明文化しなければならない。そしてそれを実施していない集団、プロジェクトは実名で糾弾されることが当たり前にならないといけない。かくいう私も、今まで自分が中心になって作ってきた、他の出演者がいる作品の全て、それを作成しなかった。自分が一番多くコストを支払っているという、一方的な「フェアさ」を演出し、甘んじていたに過ぎなかったと反省している。

付け加えると、「毎日のように時間を指定されて稽古という名目で拘束されたら、それは明文化されてなくても雇用契約は成立する」という司法書士の友人のアドバイスがあった。なので、ハラスメントの危険性については、誰でも知っておこう。参考:パワハラ防止法とは何かを徹底解説

次に、生の舞台を見て「胸に迫りくる感覚」に訴えかけるような作品を評価しないことだと思うのだが、これは自分も全く言葉を獲得できていないので、指摘に止める。とりあえず自分はもう、その類に「感動」することはないだろう。

あと、「フェアさ」について、作家も演者もよく知る必要があると思う。舞台芸術の狭い世界では、作家と演者は常に不平等であることを、まず前提として広く共有しなければならない。少なくとも、そのことについて全く言及しない作家に価値はない、という常識が出来上がるまでは。そして「フェアさ」は、その不平等な権力関係を抜きにした場をいつでも設けることができるという開かれた姿勢と、双方の合意によってのみ担保されると、今は考える。

その意味において、全ての舞台関係者は、今まで「フェアさ」に関して消極的だったと言い得ると思うし、その誹りを私は受け入れなければならない。そして「フェアさ」を無視した創作活動は、「フェアさ」を無視する次世代を、簡単に生んでしまうだろう。火の手があがる時、それは常に対岸の出来事ではない。

さて、そろそろこの文章を終えよう。最後に付け加えたいのは、簡単な言葉であるが、非常に困難な作業です。「フェア」であることは「美しい」と言い得るような文化を私は担いたいです、以上。