2021年5月6日木曜日

愚者の息継ぎについて

私は昨夜、中村珍という作家の『羣青』という漫画を読んだ。友人がツイッターですごい漫画だと評していて、あと、GW中私はずっと気分の落ち込みが身体を重く拘束してるような不自由さの中で横になって過ごした、つまり鬱が酷かったので、パートナーはバイトを休み1歳児をワンオペで見続けなければならなかったし、どうにも改善する兆候を掴めなかったので、深夜(22時は今の私にとって深夜)になんでもいいので、何か漫画を読もうと思い立った。

LINEマンガを久々にダウンロードして、サラサラと無料マンガを漁っていたら、『羣青』を見つけた。だから、私はこの漫画を最後まで読んでない。無料の部分の、途中までしか読んでいない。それでも熱中した。自分の中にパラパラと散逸していた感情や感覚に、筋道が出来た感覚があった。凄惨なストーリーで、すれ違っているとわかりきっている執着が愛憎巻き込みながら転がり落ちていくような話なのですが、私は中途で止めているにも関わらず救われた。

このところ、ずっと睡眠時間が3、4時間くらいで、日中にも寝て計6時間くらい、ずっと疲労感が重たく身体を支配していたのだけど、今朝も2時に目が覚めて、でも気分は悪くなかった。『羣青』の続きを読みたい、とはあまり思ってなかった。家事をして、タバコを喫った。タバコを美味しく感じたのは1週間ぶりくらいだな、この1週間は美味しくないのにそれでも喫い続けた、たくさん喫った。

不味いタバコをそれでも喫い続けること、破滅的な漫画に唐突に救われること、どちらも個人的すぎて、個人の日常の、些細なことで済みます、そんな、大仰な話をするなんて馬鹿げている。

多様性という言葉はいつから使われるようになったのか。人間は、一つになりたいと願っている、大きなものに埋没することで自分の孤独や責務から逃げたがっている。私のような(愚かな?劣等な?)人間もいます、生きていたいです存在したいです、と言い続けなければいけないというのは、とても息苦しいことですね、息継ぎ、息継ぎ、こんな、泳ぐには、必要です。

アートは必要、アートは役立つ、アートは誰にとっても必要、アートは特別、アートは特別じゃない、etc

私は私の不安に耐えて生きています(時々寝込むけど)、だから、どうか、あなたもあなたの不安に向き合ってください。そして私という見ず知らずの愚者の居場所を奪わないでください。