2023年7月8日土曜日

音楽理論を信じない私の「音楽」バナシ

音楽サイコー!ってなるとき、脳内に直接すべてが差し込まれるとき、からだ動いて一瞬一瞬に反応しちゃうとき、私は「身体が共鳴している」状態として解釈していて、だから音楽理論なんていらねーよ!とは言えないが、身体を共鳴させる可能性を模索しているので、既存の理論にはあまり興味がない。

身体の共鳴は、生楽器かどうかとか関係なくてDTMでもからだにクるものもたくさんある、知っている。「その音」に感じ入ったアーティスト本人の身体への共鳴であるように思っている。なので、複雑な音楽理論やプログラミングを応用した音楽にも身体が共鳴することはある。音源よりライブの方が共鳴しやすいように思うが、音の大きさやレンジの広さもあるので一概には詳しく述べられないね。

かつ、演劇やダンス、他のパフォーマンス・アートを観ている時も(私には)おこるので、音楽にだけおこることでなし、その辺に既存の音楽理論の素晴らしさがあるのやもしれない。けど、身体が共鳴する(あくびのように)という経験則、それはあまり語られてこなかったんだから今生を賭けてみてもいいではないか。

私が思うに、音楽には共鳴させる味の「濃い」ものと「薄い」ものがあって、前者は屋外で聴いていてもその味を知覚できるように、いわゆるポピュラーミュージック的な音圧があったりなど。

さて、後者「薄い」もの、一部の現代音楽、即興音楽、実験音楽、環境音楽、またはSP盤から起こした音源などの音域のレンジが狭いものなどもこれに含まれると思う。「薄い」ゆえに「弱い」ので屋外などで聴くには不向き、味が不明瞭になってしまうのだが、思考など作業の邪魔にならないので自分の部屋で重宝している。

そして私自身も「薄い」味の音楽活動を続けている。呼吸音、もはや味が濃いのか薄いのかよくわからないけど、レンジの狭い小型アンプなどを使ってアンプリファイしているし、微細な音を立てる日用品なども用いているし、と。

5月のワークショップでは、なぜ呼吸音を用いるのか、自分がいま扱っている以外の理由があまり答えられなかったと思う。今月7月もワークショップをやるのですが、呼吸の音という「薄さ」「弱さ」ゆえの味わいを感じられる内容にしたい。微細な音を聴きながら感じながら「いるだけ」のワークをやったり、身体の震度を共有するために空間に音を出すワークをしたりなど。

内容はまだまだアイディア段階ですが、私のワークショップではどんな方も「大人」として扱います。ので気軽に楽しめますよ。ぜひお問い合わせ、ご参加くださいませ。



そうそう、7/22《西日暮里編》ワークショップ後に、屋上にて18時からkqパフォーマンスやりますよ。こちらもよろしくお願い致します。