2016年8月2日火曜日

価値観の多様性について

価値観の多様性を守りたいと思います。

「守りたい」という言葉に語弊があることは承知ですが、敢えて言います。


自分の属性に「日本国籍、日本在住」「男性」「五体満足」「ヘテロセクシャル」「高学歴」「親が医者」など、無数のマジョリティ、アッパー要素があるとして、

それを存分に享受してきたわけだけど、

不登校になった中学以降、心性はずっとマイノリティで、

成績、進学、就職、高収入などの価値観が本当に息苦しくて辛かったし、

集団生活は、ダンス・カンパニーに所属していた3年間を除いて、

小学校以来できませんでした。


そんな中、

偶々、ラッキーなことに、

「価値観の多様性」を

(ギリギリ)認める周囲の中で、

(ギリギリ)生きて来ることができました。

その時々で救いになったモノが、

「表現」「芸術」というカテゴリーの

音楽、舞台、映画、ダンス、演劇、絵画、小説、評論etc...

だったから、それを信奉して活動してきた。


参議院選挙の結果、

自民党の改憲草案、

小池百合子の当選、

が何を意味してるのか、何も知らない人を説得出来るほど勉強していないのだが、

それでも価値観の多様性が脅かされていることだけは明言できる。


そして、価値観の多様性の根拠を、

生物学でも歴史でも経済でも、

色々と求められると思うのだが、

それを担保する為に「言論・表現の自由」があるのであって、

価値観の多様性を脅かす言論、表現は真っ向から否定する。

それは「自由」を抑圧する行為ではない。

どこぞのヘイト・スピーカーが「言論の自由」を誤用してるので、

僕は真っ向から否定する。


ヘイト・スピーチ、ヘイト・クライム、ファシズム、全体主義、同調圧力、

それらをキチンと真っ向から否定しなければならない局面にきていると感じます。


自分には子供がいないけど、

次の世代にこの息苦しい価値観以外の選択肢を残すために。

これ以上、価値観の多様性を狭めない為に。

精一杯生きようと思います。


すーじん