2月に子供が誕生したのだけれども、今はコロナ疎開で離れて暮らしている。毎日ビデオ通話越しに見る成長は眩くて、自分の目が少しタレたと鏡を見て知る。そして、恐らく今まで人生で経験してこなかった種類の笑顔を獲得していると思う。
PCがクラッシュしたこと、コロナ禍で自分の創作活動の先行きが見えないこと、そしてバイト休職による多大な時間は、私自身の中に潜んでいた様々な制約を溶かしていっている。制約と表現したけれど、それは極めて暴力的であるという意味で、差別や偏見に近いものなのではないかと、#black lives matterの動向や、日本国内の反応、カナダのトルドー首相の会見などを見て思う。
「舞台芸術」という言葉は、音楽は後塵を拝しているというか、往往にして漏れてるのが当たり前で、音楽をベースとする自分としては使い難い時もあるのですが、今はその、音楽が漏れ落ちた文化のお話をしたいと思います。
昨今話題になったリアリティ番組の、犠牲者のことを全く知らないのだけど、パートナーがその番組を見ていて「プロレスラーのまっすぐな女の子」という情報だけで、胸が痛い。そして、翻って「舞台芸術」の作家、演者、愛好者と、それに携わる人間の中でどれだけの人が、この事件を我が事として捉えられたか。私には、この犠牲者への誹謗中傷とその苦悩を全く知らずに「番組を無邪気に楽しんでいた人たち」と同質のメンタリティが、あったことを告白したい。
リアリティ至上主義、とでも言えようか、演者が舞台上で「我が身を切って立っている」ことへの、「感動」だと呼んでいたものについて、同質だと直感している。「いま、この場で、我が身を切った」という感覚は、単に服でも脱げばいいというようなお話ではなく、膨大な量の時間と労力をかけながら尚、何かに接近しようとする「純粋な」意志だと、仮に説明してみる。もちろん、これは観客としての視点だけでなく、作家、演者としても、そのように感じていた。
現代的な演劇やダンスの公演を観ていて、そのような評価軸を自分の中に置くのは、非常に意義があるように感じていた、すなわち「いま、この場に」いなければ感じられなかった感覚だったので、無邪気にそれに酔い、また、それへの接近を目指していた。
しかし、それを「小劇場ならではのライブ感」と置く評価軸は、文字通り、生命への危険を孕んでいたのではないか。そして、その危険の可能性をわかった上で、たかだか3,000円くらいのチケット代で提供したり、享受してきた。いや、料金の多寡ではない。が、いま、それを反省するべき時だと思う。
それを「感動」と呼び作家や演者を賞賛しながら、人ひとりの生活というコストを支払わせている事実は、「暗黙の了解」と呼ぶには、あまりに暴力的な上、なんの保証も補償もない世界だということを、みんな熟知していて、そこに与していた自分は主犯だったと思うのだ。
そのことへの反省を、恐れを、そこに与してなかった人にも伝わるように描きたいとは思うのだが、まだ冷静には書けずにいる。なので、少し、これからのことについて考えてみたい。
まず、「雇用」ないしは、「契約」を明文化しなければならない。そしてそれを実施していない集団、プロジェクトは実名で糾弾されることが当たり前にならないといけない。かくいう私も、今まで自分が中心になって作ってきた、他の出演者がいる作品の全て、それを作成しなかった。自分が一番多くコストを支払っているという、一方的な「フェアさ」を演出し、甘んじていたに過ぎなかったと反省している。
付け加えると、「毎日のように時間を指定されて稽古という名目で拘束されたら、それは明文化されてなくても雇用契約は成立する」という司法書士の友人のアドバイスがあった。なので、ハラスメントの危険性については、誰でも知っておこう。参考:パワハラ防止法とは何かを徹底解説
次に、生の舞台を見て「胸に迫りくる感覚」に訴えかけるような作品を評価しないことだと思うのだが、これは自分も全く言葉を獲得できていないので、指摘に止める。とりあえず自分はもう、その類に「感動」することはないだろう。
あと、「フェアさ」について、作家も演者もよく知る必要があると思う。舞台芸術の狭い世界では、作家と演者は常に不平等であることを、まず前提として広く共有しなければならない。少なくとも、そのことについて全く言及しない作家に価値はない、という常識が出来上がるまでは。そして「フェアさ」は、その不平等な権力関係を抜きにした場をいつでも設けることができるという開かれた姿勢と、双方の合意によってのみ担保されると、今は考える。
その意味において、全ての舞台関係者は、今まで「フェアさ」に関して消極的だったと言い得ると思うし、その誹りを私は受け入れなければならない。そして「フェアさ」を無視した創作活動は、「フェアさ」を無視する次世代を、簡単に生んでしまうだろう。火の手があがる時、それは常に対岸の出来事ではない。
さて、そろそろこの文章を終えよう。最後に付け加えたいのは、簡単な言葉であるが、非常に困難な作業です。「フェア」であることは「美しい」と言い得るような文化を私は担いたいです、以上。
2020年6月5日金曜日
2020年5月5日火曜日
自分を記述する試み(1
昨日、5/4は久々に持病の鬱がひどくて、一日伏せったままだった。低気圧が主な原因だったと思うのだけど、頓服で飲む薬もほとんど効かず、音楽を流しておくことすら苦痛という時間が続いて、ただ布団に横たわって過ごした。
私は鬱を患っている。通院は2012年からで、今の病院で二つ目、1日3回4種類の薬を服用している。鬱がひどい時というのは、自死を望むエネルギーさえなく、ただ布団で横になっていることしかできないのだったと、思い出させられた。私は鬱の時は過眠と過食があるので、昨日は今の生活リズムを崩さないためにもとりあえず起きていたのだが、昼までは倦怠感ぐらいで済んでいた感覚も、午後には逃れられない苦痛が絶えず体内に燻っている状態になった。
エネルギーがないということはそれだけで苦しいことだと思う。昨日に関しては苦しみに具体的なイメージはなく、身体が重く動かすだけで一苦労、頭の中が泥水のように鈍い、などの表現が今は浮かぶが、最中はただただ心を万力で締め付けられるような苦痛があるだけである。その苦しみを表現するには身も心も沈みきっているのだ。
今朝、起きたら鬱は去っていてホッとしたのだが、これを機にそれらを記述して、自分の症例を元に少しでも鬱について周囲に知って欲しいと思った。
2012年から1年ぐらいは、上述したような感覚が日常だった。本当に毎日、布団で横になっていることしかできなかった。親に収入があったから仕送りをもらって生活はできていたが、この先どうやって生きていったらいいかわからず、ただただツラく苦しかった。
2013年くらいから少しずつ回復していたが、一人の「人間」として生きていくには調子の好不調がありすぎて、社会とのギャップが大きすぎたし恐ろしすぎた。障害者雇用という制度も知らなかったし、知っていたとしてもあの時、自分を障害者だと認めることは、さらなる混乱と自己否定の深みにハマっていっていたと思う。この時期の自分は自分が回復してきている、などと思えなかった。「生きていけない」ことに変わりはなかったから。
2014年の始め、横浜赤レンガ倉庫で捩子ぴじんさんの『空気か屁』を観た。何もできないことの惨めさ、情けなさと共に、「価値づけ」から解放された世界が繰り広げられていた。それは、その時の自分をも解放してくれた。自分が今まで触れてきた「芸術」とは決定的に質が違っていた。だから、自分がいかに狭い「芸術」にしか触れてこなかったか、いかにその中で狭い価値基準に自分を縛り付けていたか、少し何か変わっていける兆しを作ってくれた。
2014年には9月にもう一つ。自分がリーダーを務めていたバンド、scscs(スクスクス)が新たなメンバーを迎え、再始動した。そして、千代田芸術祭というコンペティションに出した5分ほどの小作品で山川冬樹さんに賞を頂いた。客席から何度も観ていた山川さんに評価されたことは本当に嬉しかった。
そこで自分は、アーティストとして生計を立てられないかということを、模索し始めた。この模索を手伝ってくれた第二期scscscメンバーの秋本ふせん、守屋パヤ、両氏には今ではとても感謝している。しかし当時は彼らにはツラく当たってしまっていた。助成金やAIR事業への企画書が一向に通らず、公演をする度に赤字という状況が続き、自分はまた狭い基準で自分を縛り付けるようになっていた。そしてそれをメンバーたちにも強要していたように思う。
そのような状態では共同体はうまく維持できず、そして再度自分自身に絶望し始めていた私の自暴自棄な振る舞いもあり、scscsは2016年秋に再び私一人になった。その頃、私はデッサンモデルのバイトをしていたが、不安定な収入や将来のことを考えて、障害福祉の仕事を始めようと考えていた。それはまたいつか書けたらと思う。
こうして俯瞰してみると、自分はとかく自分を狭い基準、狭い視野に押し込み勝ちで、それが鬱と関係ないわけがない。そして、その狭い基準や視野は、優れた作品を発表する為には必要だと思っている自分が、いる。自覚がある。自分や他者に厳しく「なければならない」、そうしないと感動は起こせない、のか。もっと鷹揚な設計の中に、緩やかに存在したいと思い始めている。
私は鬱を患っている。通院は2012年からで、今の病院で二つ目、1日3回4種類の薬を服用している。鬱がひどい時というのは、自死を望むエネルギーさえなく、ただ布団で横になっていることしかできないのだったと、思い出させられた。私は鬱の時は過眠と過食があるので、昨日は今の生活リズムを崩さないためにもとりあえず起きていたのだが、昼までは倦怠感ぐらいで済んでいた感覚も、午後には逃れられない苦痛が絶えず体内に燻っている状態になった。
エネルギーがないということはそれだけで苦しいことだと思う。昨日に関しては苦しみに具体的なイメージはなく、身体が重く動かすだけで一苦労、頭の中が泥水のように鈍い、などの表現が今は浮かぶが、最中はただただ心を万力で締め付けられるような苦痛があるだけである。その苦しみを表現するには身も心も沈みきっているのだ。
今朝、起きたら鬱は去っていてホッとしたのだが、これを機にそれらを記述して、自分の症例を元に少しでも鬱について周囲に知って欲しいと思った。
2012年から1年ぐらいは、上述したような感覚が日常だった。本当に毎日、布団で横になっていることしかできなかった。親に収入があったから仕送りをもらって生活はできていたが、この先どうやって生きていったらいいかわからず、ただただツラく苦しかった。
2013年くらいから少しずつ回復していたが、一人の「人間」として生きていくには調子の好不調がありすぎて、社会とのギャップが大きすぎたし恐ろしすぎた。障害者雇用という制度も知らなかったし、知っていたとしてもあの時、自分を障害者だと認めることは、さらなる混乱と自己否定の深みにハマっていっていたと思う。この時期の自分は自分が回復してきている、などと思えなかった。「生きていけない」ことに変わりはなかったから。
2014年の始め、横浜赤レンガ倉庫で捩子ぴじんさんの『空気か屁』を観た。何もできないことの惨めさ、情けなさと共に、「価値づけ」から解放された世界が繰り広げられていた。それは、その時の自分をも解放してくれた。自分が今まで触れてきた「芸術」とは決定的に質が違っていた。だから、自分がいかに狭い「芸術」にしか触れてこなかったか、いかにその中で狭い価値基準に自分を縛り付けていたか、少し何か変わっていける兆しを作ってくれた。
2014年には9月にもう一つ。自分がリーダーを務めていたバンド、scscs(スクスクス)が新たなメンバーを迎え、再始動した。そして、千代田芸術祭というコンペティションに出した5分ほどの小作品で山川冬樹さんに賞を頂いた。客席から何度も観ていた山川さんに評価されたことは本当に嬉しかった。
そこで自分は、アーティストとして生計を立てられないかということを、模索し始めた。この模索を手伝ってくれた第二期scscscメンバーの秋本ふせん、守屋パヤ、両氏には今ではとても感謝している。しかし当時は彼らにはツラく当たってしまっていた。助成金やAIR事業への企画書が一向に通らず、公演をする度に赤字という状況が続き、自分はまた狭い基準で自分を縛り付けるようになっていた。そしてそれをメンバーたちにも強要していたように思う。
そのような状態では共同体はうまく維持できず、そして再度自分自身に絶望し始めていた私の自暴自棄な振る舞いもあり、scscsは2016年秋に再び私一人になった。その頃、私はデッサンモデルのバイトをしていたが、不安定な収入や将来のことを考えて、障害福祉の仕事を始めようと考えていた。それはまたいつか書けたらと思う。
こうして俯瞰してみると、自分はとかく自分を狭い基準、狭い視野に押し込み勝ちで、それが鬱と関係ないわけがない。そして、その狭い基準や視野は、優れた作品を発表する為には必要だと思っている自分が、いる。自覚がある。自分や他者に厳しく「なければならない」、そうしないと感動は起こせない、のか。もっと鷹揚な設計の中に、緩やかに存在したいと思い始めている。
2020年4月23日木曜日
"alive"と"survive"の間で
作品は見てないけど気になっているアーティストの一人、百瀬文さんのインタビューを読んだ。あと、哲学者ティモシー・モートンを紹介する記事を読んだ。
この投稿のタイトルはティモシー・モートンの記事から引用している。「活発に生きる」と「生き延びる」ことのジレンマということが記事の中では取り上げられていた。今、金武良仁の沖縄民謡を流しながらブログを書いている。
パラダイム・シフトが必要だとして、それに乗り切れない人や活動を淘汰していくような社会システムを僕は望まない。もちろん、自分は今までチケットを買ってもらって人を集め作品を発表するという作品発表の形式を取ってきたから、淘汰される側の当事者でもある。
「どうやったらコロナ以降の世界で生き延びられるか」ということは、多分、そんなに難しいことではない。僕なんかがここで特筆しなくても、億単位のリソースがそこに割かれるだろうし、あくまでまだ「答え」らしきものが留保されているにすぎないと思うのだ。
それより「どうやったらコロナ以降の世界で"他者"を生かせるか」を考えていくほうが、難しい。あまりにも難しくて、どこから手をつけたらいいかわからない。
でも、僕が信奉している「アート」は、「答え」を見つける為ではなく、「過程と実践」についての営為だと思っている。これは、アーティストとは共有できても、なかなかその外部の人とは接続しにくい考え方だと思う。
それは一つには、どれだけ売れたか×いくらで売れたか=アーティストの価値というようなアーティスト観が、この社会には満ちているからだと思う。それは近代資本主義発達以降の(今M・ウェーバー読んでいます)データを「客観的事実」とみなし評価するような人間観とイコールなので、"他者"に対し「成果」を要求するようになってしまっているのだろう。
往往にして自分自身にも、その要求の刃を向けてしまうはずで、だから、生きづらくなるからそんな考え方とは距離を取りましょうよ、というところにコロナ以前の自分はいた。
しかし、今はもうちょっと焦点が明瞭になってきたというか。もう生活の中で何を感じたかを、日々積み重ねるだけで、いいことにしませんか?と思う。
そして、その前提は少しでも発信して行きたい。自分にとって生きやすくなる社会は"他者"にとっても開かれている、と信じている。
この投稿のタイトルはティモシー・モートンの記事から引用している。「活発に生きる」と「生き延びる」ことのジレンマということが記事の中では取り上げられていた。今、金武良仁の沖縄民謡を流しながらブログを書いている。
パラダイム・シフトが必要だとして、それに乗り切れない人や活動を淘汰していくような社会システムを僕は望まない。もちろん、自分は今までチケットを買ってもらって人を集め作品を発表するという作品発表の形式を取ってきたから、淘汰される側の当事者でもある。
「どうやったらコロナ以降の世界で生き延びられるか」ということは、多分、そんなに難しいことではない。僕なんかがここで特筆しなくても、億単位のリソースがそこに割かれるだろうし、あくまでまだ「答え」らしきものが留保されているにすぎないと思うのだ。
それより「どうやったらコロナ以降の世界で"他者"を生かせるか」を考えていくほうが、難しい。あまりにも難しくて、どこから手をつけたらいいかわからない。
でも、僕が信奉している「アート」は、「答え」を見つける為ではなく、「過程と実践」についての営為だと思っている。これは、アーティストとは共有できても、なかなかその外部の人とは接続しにくい考え方だと思う。
それは一つには、どれだけ売れたか×いくらで売れたか=アーティストの価値というようなアーティスト観が、この社会には満ちているからだと思う。それは近代資本主義発達以降の(今M・ウェーバー読んでいます)データを「客観的事実」とみなし評価するような人間観とイコールなので、"他者"に対し「成果」を要求するようになってしまっているのだろう。
往往にして自分自身にも、その要求の刃を向けてしまうはずで、だから、生きづらくなるからそんな考え方とは距離を取りましょうよ、というところにコロナ以前の自分はいた。
しかし、今はもうちょっと焦点が明瞭になってきたというか。もう生活の中で何を感じたかを、日々積み重ねるだけで、いいことにしませんか?と思う。
そして、その前提は少しでも発信して行きたい。自分にとって生きやすくなる社会は"他者"にとっても開かれている、と信じている。
2020年4月10日金曜日
私には一生を懸けてわかりたいことがある
2017年から障害福祉の仕事をしているが、今はカプカプという施設で働いている。非常に骨の太い活動をしている施設なので、興味のある方は一度訪問してみることをオススメします。私はそこでまだ2年の新米ではあるが、コミュニティの在り方や人間関係の多くを学ばせてもらってきた。
その詳細はここでは述べないが、この状況下でもひかりが丘の本店は開店している。とにかくそういう場所なのだ。もちろん、感染については細心の注意を払いながら。
しかし、2週間くらい前から私は通勤できずにいる。この状況下で発熱したことや病院で軽いコロナの可能性があると言われたことも多分に影響しているが、うまくは説明できない。もちろん、単純にコロナに感染して死にそうで働きたくないという気持ちがあるのは事実だが。
この2週間家に篭りおる。何をしているかと言えば、ずっと棚と白熊のバンドアレンジを録音したり編集したりしていた。朝も昼も夜も、動ける時間ずっとだ。パートナーと赤ちゃんは青森に疎開していったので、ちょうど自分だけの時間が久々に生まれたタイミングとなったこともある。が、なぜここまで盲信的なまでに自分が創作に集中しているのか、自分でもよくわからなかった。
今朝ようやく、WEB上に「積ん読」になっていた文章が読めるようになって、その一つが心に響いて何かは氷解した。その文章はこちら。
夜の果てへの旅だ。準備はいいか? 斎藤潤一郎『死都調布南米紀行』を読む
斎藤潤一郎さんという作家の新作を紹介する体のブログのようなのだが、おそらく書き手も射程距離をそこに絞っていないので、簡潔化させてもらうと、「芸術家は非常時に何も創れないかもしれないけど、それでもいい。オールOK。でも、創れたら、それは社会インフラの一部だから誰にとっても必要なものだよ」という、ロシアの大飢饉を目の当たりにして何も書かなかったチェーホフを引用しながら、芸術家に寄り添う視点で書かれたプロットであったと思う。
自分の、このバイトに行けなさみたいな感覚を肯定されたように思った。「つまり自分は本業であるところの創作にのみ全エネルギーを放出したいのだ」と今は解釈している。アウトプットの良し悪し、もしくは有無ではないのだ。ただエネルギーを放出したいと全身が願っている。現在、堰を切ったようにWEB上で友人たちが各々の活動を紹介し出していることへの違和感も、まるで「芸術は役に立ちます(だから私を救ってください)」と声高に述べているように感じてしまっているからだと思う。
ただ創れよ、というのが過言なら、ただ創ろうぜと思う。それは観客がいなくても創作は成立するという意味ではなく、私たち作家は「役に立つか/立たないか」なんぞ関係なく没頭してきたのではなかったか?と自分は信じているからだ。(だから一律にWEB上での発信を否定したいということでもない)
私はただ創りたいのだ。どこまでも深みに嵌りたい。そうやって理解できたことを少しだけ身体に蓄積していきたい。それはとても愚かしいことかもしれないが、私は受け入れてきた。これからもそうするだろう。バイトには行ける気持ちになれますように。
最後に宣伝ですが、友人でアメリカ文学研究・翻訳をされている坪野圭介さんが"Sound Sample Market vol.2"のレビューを書いてくださいました。
こちらも創造する行為そのものを肯定してくれるような温かみのある文章です。
よかったら、ぜひ。
期待と不安のあいだにあるリズム——“Sound Sample Market vol. 2”について
しかし、2週間くらい前から私は通勤できずにいる。この状況下で発熱したことや病院で軽いコロナの可能性があると言われたことも多分に影響しているが、うまくは説明できない。もちろん、単純にコロナに感染して死にそうで働きたくないという気持ちがあるのは事実だが。
この2週間家に篭りおる。何をしているかと言えば、ずっと棚と白熊のバンドアレンジを録音したり編集したりしていた。朝も昼も夜も、動ける時間ずっとだ。パートナーと赤ちゃんは青森に疎開していったので、ちょうど自分だけの時間が久々に生まれたタイミングとなったこともある。が、なぜここまで盲信的なまでに自分が創作に集中しているのか、自分でもよくわからなかった。
今朝ようやく、WEB上に「積ん読」になっていた文章が読めるようになって、その一つが心に響いて何かは氷解した。その文章はこちら。
夜の果てへの旅だ。準備はいいか? 斎藤潤一郎『死都調布南米紀行』を読む
斎藤潤一郎さんという作家の新作を紹介する体のブログのようなのだが、おそらく書き手も射程距離をそこに絞っていないので、簡潔化させてもらうと、「芸術家は非常時に何も創れないかもしれないけど、それでもいい。オールOK。でも、創れたら、それは社会インフラの一部だから誰にとっても必要なものだよ」という、ロシアの大飢饉を目の当たりにして何も書かなかったチェーホフを引用しながら、芸術家に寄り添う視点で書かれたプロットであったと思う。
自分の、このバイトに行けなさみたいな感覚を肯定されたように思った。「つまり自分は本業であるところの創作にのみ全エネルギーを放出したいのだ」と今は解釈している。アウトプットの良し悪し、もしくは有無ではないのだ。ただエネルギーを放出したいと全身が願っている。現在、堰を切ったようにWEB上で友人たちが各々の活動を紹介し出していることへの違和感も、まるで「芸術は役に立ちます(だから私を救ってください)」と声高に述べているように感じてしまっているからだと思う。
ただ創れよ、というのが過言なら、ただ創ろうぜと思う。それは観客がいなくても創作は成立するという意味ではなく、私たち作家は「役に立つか/立たないか」なんぞ関係なく没頭してきたのではなかったか?と自分は信じているからだ。(だから一律にWEB上での発信を否定したいということでもない)
私はただ創りたいのだ。どこまでも深みに嵌りたい。そうやって理解できたことを少しだけ身体に蓄積していきたい。それはとても愚かしいことかもしれないが、私は受け入れてきた。これからもそうするだろう。バイトには行ける気持ちになれますように。
最後に宣伝ですが、友人でアメリカ文学研究・翻訳をされている坪野圭介さんが"Sound Sample Market vol.2"のレビューを書いてくださいました。
こちらも創造する行為そのものを肯定してくれるような温かみのある文章です。
よかったら、ぜひ。
期待と不安のあいだにあるリズム——“Sound Sample Market vol. 2”について
2020年2月6日木曜日
子供が生まれたことと自分のやりたいこと
2/3、午前10:48に子供がひっそりと世界に生まれ出てきた。生まれたての赤ちゃんというのは、泣いたり笑ったりモゾモゾと動いたり、ままならない存在である。ただ「存在」することが大事な仕事であり、周囲は慌てたり笑顔になったりする。
正直、自分は今生では子供を持てないだろうと長い間確信していたこともあり、赤ちゃんに対して自分がどのような感慨を抱くか、もっと言えば愛情を持てるかどうか不安があった。
その不安は初対面で吹き飛んだ。こんなに愛おしいものが、自分と地肉を分けて、こんなに愛おしいものが、必死に母体から離れて、存在できた、それは奇跡でしかなく、不覚にも涙目になっていた。
幸せになろう、と生まれて初めて思った。パートナーと子供と3人で、飛びきり幸せになってやろうと思った。物事に執着せずにいつでも捨て身になれる身軽さを、自身の根底を貫くポリシーとして35年間生きてきたが、身軽さ、他者へのヨスガ、執着、全て抱きかかえて生きていきたいと思った。
30代半ばの音楽家としては決して華々しいキャリアがあるわけでもなく、第一線を退けばすぐにでも忘れ去られるような存在でしかないが、私は何も諦めない。もっと何かできるはずだ、という自分の衝動に率直であり続けたいと思う。
「何か」はまだ遠くて、ギリギリ視認できるくらいですが、ようやく見えてきたところでもあります。これからも歩み続けますので、皆様のお力添え、どうぞよろしくお願い致します。
正直、自分は今生では子供を持てないだろうと長い間確信していたこともあり、赤ちゃんに対して自分がどのような感慨を抱くか、もっと言えば愛情を持てるかどうか不安があった。
その不安は初対面で吹き飛んだ。こんなに愛おしいものが、自分と地肉を分けて、こんなに愛おしいものが、必死に母体から離れて、存在できた、それは奇跡でしかなく、不覚にも涙目になっていた。
幸せになろう、と生まれて初めて思った。パートナーと子供と3人で、飛びきり幸せになってやろうと思った。物事に執着せずにいつでも捨て身になれる身軽さを、自身の根底を貫くポリシーとして35年間生きてきたが、身軽さ、他者へのヨスガ、執着、全て抱きかかえて生きていきたいと思った。
30代半ばの音楽家としては決して華々しいキャリアがあるわけでもなく、第一線を退けばすぐにでも忘れ去られるような存在でしかないが、私は何も諦めない。もっと何かできるはずだ、という自分の衝動に率直であり続けたいと思う。
「何か」はまだ遠くて、ギリギリ視認できるくらいですが、ようやく見えてきたところでもあります。これからも歩み続けますので、皆様のお力添え、どうぞよろしくお願い致します。
2020年1月16日木曜日
"Sound Sample Market vol.2"を終えて
去る1月12日に"Sound Sample Market vol.2"が無事に終わりました。たった2日間3公演という短い間でしたが私にとってとても大切な時間となりました。ご来場くださった皆さま、出演者、スタッフ、関係者各位のお陰です。どうもありがとうございました。
今回初めの試みとなったアフタートークは、当日制作と出演と接客とで非常にテンパりながらだったので、お聞き苦しい点も多々あったかと思うけど、やって良かったと心から思えた。ゲストを快く引き受けてくださった細田成嗣さんは、的確で重要な視座を観客にも出演者にも与えてくれたし、出演者同士のトークでは、ただ呼ぶ側/呼ばれる側としてだけでは達成できない交流を生む時間になった。3回目の正直とのアフタートークでは、だいぶ余裕のあるトークを披露しつつ(笑)、なぜ自分が今回の出演者に声をかけさせてもらったかなどの話を通して自分のリスペクトを伝えることができたように思う。
また、2日間3公演という音楽ライブとしてはレアな形式に、必然性と意義があることを確信できた。正直も山下哲史さんも3公演を通してアプローチがどんどん変化していき、嬉しいことに、最終回は3組で一つの時間を紡いでいるという感覚が自分にリラックスと集中を与え、ポテンシャルを強く引き出したように思う。昨年は3組でのグルーヴ感を創り出すことは叶わなかったが、今回は抜群に相性の良い3組となったと胸を張って言える。
手応えに比して、SNS上などの感想がほとんど見られないのは(個人的な連絡で感想を丁寧に伝えてくださった方々、どうもありがとうございました)、偏に作品を表現し得るような言葉がまだまだ足りていないからだと思う。自分がまず自分の作品について雄弁で有りたいと思う。少なくとも、自分のイベントに来てくださった方々は知的な面でも好奇心の強い方だと思うので、自分が先ず言葉を探し当てて行けば、どういう言葉で表現するのが適切なのかみんな各々探し出して行くように思う。
「批評が機能していない」という言葉は、あらゆるアートのジャンルにおいて散見されるように思うけど、何かしら新しいことに踏み込むならば、率先してそこに必要な言葉を見つけていきたい。と同時に、その作業にも皆さんの助力を必要としています。よろしくお願い致します。
今回初めの試みとなったアフタートークは、当日制作と出演と接客とで非常にテンパりながらだったので、お聞き苦しい点も多々あったかと思うけど、やって良かったと心から思えた。ゲストを快く引き受けてくださった細田成嗣さんは、的確で重要な視座を観客にも出演者にも与えてくれたし、出演者同士のトークでは、ただ呼ぶ側/呼ばれる側としてだけでは達成できない交流を生む時間になった。3回目の正直とのアフタートークでは、だいぶ余裕のあるトークを披露しつつ(笑)、なぜ自分が今回の出演者に声をかけさせてもらったかなどの話を通して自分のリスペクトを伝えることができたように思う。
また、2日間3公演という音楽ライブとしてはレアな形式に、必然性と意義があることを確信できた。正直も山下哲史さんも3公演を通してアプローチがどんどん変化していき、嬉しいことに、最終回は3組で一つの時間を紡いでいるという感覚が自分にリラックスと集中を与え、ポテンシャルを強く引き出したように思う。昨年は3組でのグルーヴ感を創り出すことは叶わなかったが、今回は抜群に相性の良い3組となったと胸を張って言える。
手応えに比して、SNS上などの感想がほとんど見られないのは(個人的な連絡で感想を丁寧に伝えてくださった方々、どうもありがとうございました)、偏に作品を表現し得るような言葉がまだまだ足りていないからだと思う。自分がまず自分の作品について雄弁で有りたいと思う。少なくとも、自分のイベントに来てくださった方々は知的な面でも好奇心の強い方だと思うので、自分が先ず言葉を探し当てて行けば、どういう言葉で表現するのが適切なのかみんな各々探し出して行くように思う。
「批評が機能していない」という言葉は、あらゆるアートのジャンルにおいて散見されるように思うけど、何かしら新しいことに踏み込むならば、率先してそこに必要な言葉を見つけていきたい。と同時に、その作業にも皆さんの助力を必要としています。よろしくお願い致します。
2020年1月4日土曜日
アーティストの30代
アーティストにとって30代というのが、実力・感性・体力などの面で、最も充実した時期なのではないかと思う。40代以降というのは勿論未経験だが、自分を振り返っても、同年代の友人たちを見ていてもそう感じる。
20代の頃は、まず自分のことがよくわからなかった。当然、どこに向かうべきかもわからなかったし、力無き身でガムシャラにしがみつくので精一杯だった。
30歳で鬱が深刻化して何もできなくなった頃、自分は人生を失敗したのだと勘違いした。もうどこにも進めないと絶望し何も手につかなかった。こんな日が来ること、自分のやりたいことをハッキリと理解し、アプローチの手段、ネットワーク、積み重ねて行けば状況が変化していくことなど、全く想像できなかった。
だから後進に何か渡せるものがあるとしたら、とにかく状況も可能性も変化し続けるから、諦めなくて良いということだけは断言できる。
自分はまだ何も為してはいない。それが達成されずに追い求め続けられることは恵まれているということなのかもしれない。
自分が障害福祉の仕事をしながらアーティストとしての活動も並行していること、友人たち以外に名前が知られるような立場にはいないこと、未だ20人程度のキャパで作品を発表し続けていることは、社会的な見地からは一見不遇に思えるかもしれないが、面白い人たちと知り合えて一緒に仕事をしたり交流したりできる今の状況は、誰も安直に結論づけてはいけないと思う。
さて、昨年末から「落々」のリハを再開している。相変わらずの部分と、反復する中で見出していく新たな世界との出会いがある作品です。まだどういう作品なのかは言語化できませんが、私がアーティストと自称できる根拠は、この飽く無き探究心、好奇心、そして自身の衝動に率直であり続けること、それは13歳の頃から変わっていない、ということです。
Sound Sample Market vol.2は今月の11,12日です。よろしくお願いします。
詳細はこちら。
20代の頃は、まず自分のことがよくわからなかった。当然、どこに向かうべきかもわからなかったし、力無き身でガムシャラにしがみつくので精一杯だった。
30歳で鬱が深刻化して何もできなくなった頃、自分は人生を失敗したのだと勘違いした。もうどこにも進めないと絶望し何も手につかなかった。こんな日が来ること、自分のやりたいことをハッキリと理解し、アプローチの手段、ネットワーク、積み重ねて行けば状況が変化していくことなど、全く想像できなかった。
だから後進に何か渡せるものがあるとしたら、とにかく状況も可能性も変化し続けるから、諦めなくて良いということだけは断言できる。
自分はまだ何も為してはいない。それが達成されずに追い求め続けられることは恵まれているということなのかもしれない。
自分が障害福祉の仕事をしながらアーティストとしての活動も並行していること、友人たち以外に名前が知られるような立場にはいないこと、未だ20人程度のキャパで作品を発表し続けていることは、社会的な見地からは一見不遇に思えるかもしれないが、面白い人たちと知り合えて一緒に仕事をしたり交流したりできる今の状況は、誰も安直に結論づけてはいけないと思う。
さて、昨年末から「落々」のリハを再開している。相変わらずの部分と、反復する中で見出していく新たな世界との出会いがある作品です。まだどういう作品なのかは言語化できませんが、私がアーティストと自称できる根拠は、この飽く無き探究心、好奇心、そして自身の衝動に率直であり続けること、それは13歳の頃から変わっていない、ということです。
Sound Sample Market vol.2は今月の11,12日です。よろしくお願いします。
詳細はこちら。
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