scscsが「舞台作品」を作りはじめたとき、民族音楽というキーワードを用いたが、それは日用品を楽器として用いるからではなく、都市の中で耳を惹く音を如何に模倣するかという試行だった。
民族音楽という言葉をなぜ借用したか、其の時分は明確に述べていなかったので、ここで簡単に述べる。
民族音楽という言葉には、共同体が前提として想定されているが、幼い頃から共同体の成員としての意識を持ちにくかった(但し、それが自分に特有のものだったかどうかは濁しておく)自分は、他者の「わからなさ」について常に直面し悩まされてきていたように想う。
バンドメンバーもカンパニーメンバーも共作者も、「わからなさ」を前提にいかに共同体を創造するかを試行錯誤してきた。その時、アウトプットを音楽と仮定するなら、「自分たち」の民族音楽を発明したいという言葉が最も違和感が少なかった。
しかし、他者のわからなさは、延いては自分のわからなさであり、自分を他者として扱えるかどうかの格闘である。そのことに気づいて、ソロ活動に注力した。
「わからなさ」の毒を中和して、ただ在ることを肯定する。"a440pjt"はそういう試みだった。物と自分と時空と聴衆。全てが調和していることは、全てを存在においてのみ肯定することから始まる。そのような低体温の共同体。
それを目指すようになって、もはや民族音楽という語は不要になった。
そこから翻って、再度、他者性;「わからなさ」というものに着目している。
昨年から障害福祉の仕事をはじめたことも影響している。また、ダンサー・振付家の山下との恊働プロジェクトが開始されたこともある。もちろん、自身がわからないということも引き受け続けている。
しかし「わからなさ」はなんと原初的な引力を持ちうるか、ということに気づいたことが最も大きい。「わからない/不明瞭な/認知し切れない」ものに感覚を惹き付けられて止まないのは生理的反応に過ぎないが、生理的反応こそ「美しい」の要件ではないのか。
そして、その他者性こそが調和の奇跡を産み出す基点であり、関節であり、終わりなき線の行く末であるように思う。
つまり、僕は永久にわからない。わからないという真空状態、その事実においてのみ、僕は全てを肯定できる。その可能性が、僕にエネルギーを与えてくれるのだ。
2018年8月26日日曜日
2017年12月27日水曜日
“a440pjt”について
「世界」を「調律する」試みです。
私と、私以外の全て、をチューニングして調和させたい。
音と、光と、空間と、私。あなた。様々な物体。
それは乾燥した瞑想のようなものです。
12月はその場所についての自分の記憶や想いを言葉で扱ってみました。
でもやはりそれは違かったな、と反省しています。
今年からはじまりました。
これからも行います。
まだまだ試行錯誤中です。
一人で。
様々な場所で。
世界と自分の調和を目指して。
2017/12/27 佐々木すーじん
2017年8月13日日曜日
"A=440"について
2017年度は"A=440"というプロジェクトをやっている。
ライブハウスにて、対バンたちは素敵なロックミュージックを奏でている中『試供品』で得たアイディアを発展・展開させて、20分ほどのパフォーマンスを上演している。
このタイトルは、『試供品』のコンセプト「無意味を肯定する」を下敷きに「調律とは何か?(それは可能か、必要か、いま有用か、誤読できるか、...)」といった興味を出発点にしていることからつけた。
当初は440Hzのチューニング用音波や音叉も用いていたのだが、先日8/9、東高円寺U.F.O.CLUBにて三回目の上演を迎え、もはや原型は跡形も無くなっている。
さて、ステートメントを公表したいとはずっと考えてはいるのだが、どうもまとまらないので、現時点で考えていることを羅列しておこうと思う。
ただし、私の考えていることが、この作品が持つ性格ではなく、作品はもう自律しているし、その程度には育った。なので、答え合わせの為に言葉を援用しているのではないことには留意して欲しい。私はあくまで直感的な戦い方を挑んでいるのである。
まず、「無意味を肯定する」から発展して、「何かある(かも)」という瞬間を積み重ねていけば、時間を実直に構成出来るのではないか、ということを試みている。
美しくなくても、何も言ってなくても、笑かせなくても、感情的でなくても、オチがなくても、立ち会った人間を納得させるだけの時間と空間の構成は可能なはずだ、と、いまさら考えているのである。
いわば「過程」の復権を目論んでいる。「で?」と片付けられる「結果」ではなくて、ただの「生」の時間の積み重ねを志向している。
そのとき、実直さを私は必要としている。
素朴であり、生々しい瞬間であり、内的慟哭である。
それはセックス・ピストルズや初期レッドホットチリペッパーズに人生をひらかれ、甲本ヒロトやベンジーに救われた私の個人史に由来している。
私に通底するのはパンク精神であり、自由を希求する魂の燃焼は、なんらかの形を経て他人まで伝播するという信念がある。
技術や安定性は副次的な物で、他人の心を動かすのに必要なものは、上記のようなエネルギーの噴火だと考える。
これら、一見矛盾するように思われる2つの志向性を統合するのは、「脱色された瞑想」という新たな概念だ。
それは瞑想、もしくは疑似瞑想のように用意された器に身を浸すのではなく、コンビニやカラオケのようにドライで即物的な時間の中に見いだす鎮静状態である。「ケ」に「ハレ」が必要なように、現代都市生活者たる私たちの欲望を制御するには瞑想が必要不可欠であると考えるが、それが前近代的な手法に寄ってしまう限り、私たちは真に瞑想には至れないだろう。そう考え私は、特定の信仰を持たない現代都市生活者(私)にフィットする「脱色された瞑想」を発明したい。
それに当たって、「チューニング」という概念を敷衍しようとしている。
つまり、小さく(しかし強く)振動する或る周波数に、自分自身がまずシンクロしていくこと、さらには立ち会っている人の内的な状態をその周波数に近づけていく時間を、まとめて「チューニング」と呼んでいる。
ここへ来て、"A=440"というタイトルが、もう一つ意味を広げたようだ。
しかし、ここまでしか未だ考えられてなく、とりあえず、ここまでで筆を置きます。
"A=440"、年末頃に一本予定がありますが、次回は未定です。
是非、お立ち会いくださいませ。
ライブハウスにて、対バンたちは素敵なロックミュージックを奏でている中『試供品』で得たアイディアを発展・展開させて、20分ほどのパフォーマンスを上演している。
このタイトルは、『試供品』のコンセプト「無意味を肯定する」を下敷きに「調律とは何か?(それは可能か、必要か、いま有用か、誤読できるか、...)」といった興味を出発点にしていることからつけた。
当初は440Hzのチューニング用音波や音叉も用いていたのだが、先日8/9、東高円寺U.F.O.CLUBにて三回目の上演を迎え、もはや原型は跡形も無くなっている。
さて、ステートメントを公表したいとはずっと考えてはいるのだが、どうもまとまらないので、現時点で考えていることを羅列しておこうと思う。
ただし、私の考えていることが、この作品が持つ性格ではなく、作品はもう自律しているし、その程度には育った。なので、答え合わせの為に言葉を援用しているのではないことには留意して欲しい。私はあくまで直感的な戦い方を挑んでいるのである。
まず、「無意味を肯定する」から発展して、「何かある(かも)」という瞬間を積み重ねていけば、時間を実直に構成出来るのではないか、ということを試みている。
美しくなくても、何も言ってなくても、笑かせなくても、感情的でなくても、オチがなくても、立ち会った人間を納得させるだけの時間と空間の構成は可能なはずだ、と、いまさら考えているのである。
いわば「過程」の復権を目論んでいる。「で?」と片付けられる「結果」ではなくて、ただの「生」の時間の積み重ねを志向している。
そのとき、実直さを私は必要としている。
素朴であり、生々しい瞬間であり、内的慟哭である。
それはセックス・ピストルズや初期レッドホットチリペッパーズに人生をひらかれ、甲本ヒロトやベンジーに救われた私の個人史に由来している。
私に通底するのはパンク精神であり、自由を希求する魂の燃焼は、なんらかの形を経て他人まで伝播するという信念がある。
技術や安定性は副次的な物で、他人の心を動かすのに必要なものは、上記のようなエネルギーの噴火だと考える。
これら、一見矛盾するように思われる2つの志向性を統合するのは、「脱色された瞑想」という新たな概念だ。
それは瞑想、もしくは疑似瞑想のように用意された器に身を浸すのではなく、コンビニやカラオケのようにドライで即物的な時間の中に見いだす鎮静状態である。「ケ」に「ハレ」が必要なように、現代都市生活者たる私たちの欲望を制御するには瞑想が必要不可欠であると考えるが、それが前近代的な手法に寄ってしまう限り、私たちは真に瞑想には至れないだろう。そう考え私は、特定の信仰を持たない現代都市生活者(私)にフィットする「脱色された瞑想」を発明したい。
それに当たって、「チューニング」という概念を敷衍しようとしている。
つまり、小さく(しかし強く)振動する或る周波数に、自分自身がまずシンクロしていくこと、さらには立ち会っている人の内的な状態をその周波数に近づけていく時間を、まとめて「チューニング」と呼んでいる。
ここへ来て、"A=440"というタイトルが、もう一つ意味を広げたようだ。
しかし、ここまでしか未だ考えられてなく、とりあえず、ここまでで筆を置きます。
"A=440"、年末頃に一本予定がありますが、次回は未定です。
是非、お立ち会いくださいませ。
2017年3月28日火曜日
『試供品』〜『季節のない街』
佐々木すーじん初の1人自主企画、『試供品』@TPAM2017フリンジは、無事終演しました。ご来場くださった方々、どうもありがとう。
海外の全然知らないお客さん方が来て下さったり、ユン・ハンソルとジュヨンさんが駆けつけてくれたり、とても嬉しかったな。
「こういう作品を作りたい」と思って始めなかったけど、自分としては新たな地平を切り拓けた感触があってとても充実してた時間でした。いままでやってきたことも活きた。
試供品ダイジェスト
こういう機会を今後も作って行きたいので、よろしくお願いします。
海外の全然知らないお客さん方が来て下さったり、ユン・ハンソルとジュヨンさんが駆けつけてくれたり、とても嬉しかったな。
「こういう作品を作りたい」と思って始めなかったけど、自分としては新たな地平を切り拓けた感触があってとても充実してた時間でした。いままでやってきたことも活きた。
試供品ダイジェスト
こういう機会を今後も作って行きたいので、よろしくお願いします。
さて、3月は古巣、Co.山田うんの『季節のない街』@世田谷パブリックシアターに出演して参りました。
僕はCo.山田うんは『春の祭典』に降板して依頼の出演だったので、気持ちの整理もつけられたし、いまやってることがダンス・カンパニーでも役に立てられるんだなということがわかって、とても嬉しかったです。
というか、いまやってることの根本がうんさんから頂いたことだったんだって気づけた。
ご来場下さった方々、フィードバックして下さった方々、佐々木の動きは日を追うごとに渋く、目立たぬように、且つ面白くwなっていきましたよ。
どうもありがとうございました。
照明の関根さんや、音響の江澤さん、記録撮影のイリベさん、などのお世話になっていた懐かしい方々に再度お会いできた、関わっている舞台に立てたことも本当に嬉しかったのです。
うんさん、どうもありがとう。温かく迎えてくれたカンパニーの皆も本当にどうもありがとう。僕はもっと成長します。
蛇足ですが、劇場入りしてからの暇な時間に作曲しました。
『試供品』前後に作っていた曲も公開してます。
久々に佐々木の世界に浸ってみてください。
聴いてね。
すーじん
2017年1月28日土曜日
『試供品』けいこにしし0127
稽古場がピリピリしてきた。
ようやく人に見せたいツボがわかってきたのだ。
だから自分の中がピリピリするのだ。
俺は白井を放置しているし、白井は俺を放置している。
勝手にやっている。
人と一緒に作品創って勝手にやれることの贅沢さ、よ。
白井とは付き合いも浅いし、仲も別に良くない。
それがいい。
仲良くしなくていいことをお互い了解している。
勝手にやっていても無視してるわけではない。
頼ってもいない。
距離の心地よさにも甘えない。
空間に共存していることは承知の上、自分の行きたい方向に行く。
お互いに。
その「張力」がいい感じなのだ。
まだ作品は2/3しかできてないし、それも未定事項が多すぎるのだけど、
scscsでの活動を踏まえて、
新しい地平に来られた。
あとは、これをどう客観的に可視化するか?再現可能な「振付」に落とし込むか?
ですよ。
絶対に面白くなります。
ご期待ください。
『試供品』
コンセプト:佐々木すーじん
作・出演:白井愛咲 佐々木すーじん
TPAM2017フリンジ参加作品
2017/2/14-15
19:oo開演
(開場は30分前)
前売:2,500円
当日:3,000円
TPAM参加登録者特典:300円割引
会場:Archiship Library&Cafe
ご予約・お問い合わせ
MAIL:info.sujin@gmail.com
WEB:https://reserva.be/sujin ※一般のみ

ようやく人に見せたいツボがわかってきたのだ。
だから自分の中がピリピリするのだ。
俺は白井を放置しているし、白井は俺を放置している。
勝手にやっている。
人と一緒に作品創って勝手にやれることの贅沢さ、よ。
白井とは付き合いも浅いし、仲も別に良くない。
それがいい。
仲良くしなくていいことをお互い了解している。
勝手にやっていても無視してるわけではない。
頼ってもいない。
距離の心地よさにも甘えない。
空間に共存していることは承知の上、自分の行きたい方向に行く。
お互いに。
その「張力」がいい感じなのだ。
まだ作品は2/3しかできてないし、それも未定事項が多すぎるのだけど、
scscsでの活動を踏まえて、
新しい地平に来られた。
あとは、これをどう客観的に可視化するか?再現可能な「振付」に落とし込むか?
ですよ。
絶対に面白くなります。
ご期待ください。
『試供品』
コンセプト:佐々木すーじん
作・出演:白井愛咲 佐々木すーじん
TPAM2017フリンジ参加作品
2017/2/14-15
19:oo開演
(開場は30分前)
前売:2,500円
当日:3,000円
TPAM参加登録者特典:300円割引
会場:Archiship Library&Cafe
ご予約・お問い合わせ
MAIL:info.sujin@gmail.com
WEB:https://reserva.be/sujin ※一般のみ

2016年10月15日土曜日
さいたまトリエンナーレへの出演を終えて
ユン・ハンソル『Saitama Frontage』無事終演致しました〜
疲れましたよ!
お客さんはわかると思いますけど、あれは疲れる。
ダンスとかとはまた別の疲労が...
とかく終わりました!
驚いたのは、役者(クリエーション・メンバーという呼称もあったが)の台詞や導線を、役者自身に決めさせて、ユンさんはそれにラッピングするだけっていうクリエーションのやり方でした。
scscsの創作方法に近いけど、それよりさらに緩くて広い。
とても興味深かったです!
うーん、勉強になる...
さいたまトリエンナーレ、実は引き続き、捩子ぴじんさんの作品にも参加します。
2016年下半期はさいたま一色。
ではまた!
すーじん
疲れましたよ!
お客さんはわかると思いますけど、あれは疲れる。
ダンスとかとはまた別の疲労が...
とかく終わりました!
驚いたのは、役者(クリエーション・メンバーという呼称もあったが)の台詞や導線を、役者自身に決めさせて、ユンさんはそれにラッピングするだけっていうクリエーションのやり方でした。
scscsの創作方法に近いけど、それよりさらに緩くて広い。
とても興味深かったです!
うーん、勉強になる...
さいたまトリエンナーレ、実は引き続き、捩子ぴじんさんの作品にも参加します。
2016年下半期はさいたま一色。
ではまた!
すーじん
2016年8月2日火曜日
価値観の多様性について
価値観の多様性を守りたいと思います。
「守りたい」という言葉に語弊があることは承知ですが、敢えて言います。
自分の属性に「日本国籍、日本在住」「男性」「五体満足」「ヘテロセクシャル」「高学歴」「親が医者」など、無数のマジョリティ、アッパー要素があるとして、
それを存分に享受してきたわけだけど、
不登校になった中学以降、心性はずっとマイノリティで、
成績、進学、就職、高収入などの価値観が本当に息苦しくて辛かったし、
集団生活は、ダンス・カンパニーに所属していた3年間を除いて、
小学校以来できませんでした。
そんな中、
偶々、ラッキーなことに、
「価値観の多様性」を
(ギリギリ)認める周囲の中で、
(ギリギリ)生きて来ることができました。
その時々で救いになったモノが、
「表現」「芸術」というカテゴリーの
音楽、舞台、映画、ダンス、演劇、絵画、小説、評論etc...
だったから、それを信奉して活動してきた。
参議院選挙の結果、
自民党の改憲草案、
小池百合子の当選、
が何を意味してるのか、何も知らない人を説得出来るほど勉強していないのだが、
それでも価値観の多様性が脅かされていることだけは明言できる。
そして、価値観の多様性の根拠を、
生物学でも歴史でも経済でも、
色々と求められると思うのだが、
それを担保する為に「言論・表現の自由」があるのであって、
価値観の多様性を脅かす言論、表現は真っ向から否定する。
それは「自由」を抑圧する行為ではない。
どこぞのヘイト・スピーカーが「言論の自由」を誤用してるので、
僕は真っ向から否定する。
ヘイト・スピーチ、ヘイト・クライム、ファシズム、全体主義、同調圧力、
それらをキチンと真っ向から否定しなければならない局面にきていると感じます。
自分には子供がいないけど、
次の世代にこの息苦しい価値観以外の選択肢を残すために。
これ以上、価値観の多様性を狭めない為に。
精一杯生きようと思います。
すーじん
「守りたい」という言葉に語弊があることは承知ですが、敢えて言います。
自分の属性に「日本国籍、日本在住」「男性」「五体満足」「ヘテロセクシャル」「高学歴」「親が医者」など、無数のマジョリティ、アッパー要素があるとして、
それを存分に享受してきたわけだけど、
不登校になった中学以降、心性はずっとマイノリティで、
成績、進学、就職、高収入などの価値観が本当に息苦しくて辛かったし、
集団生活は、ダンス・カンパニーに所属していた3年間を除いて、
小学校以来できませんでした。
そんな中、
偶々、ラッキーなことに、
「価値観の多様性」を
(ギリギリ)認める周囲の中で、
(ギリギリ)生きて来ることができました。
その時々で救いになったモノが、
「表現」「芸術」というカテゴリーの
音楽、舞台、映画、ダンス、演劇、絵画、小説、評論etc...
だったから、それを信奉して活動してきた。
参議院選挙の結果、
自民党の改憲草案、
小池百合子の当選、
が何を意味してるのか、何も知らない人を説得出来るほど勉強していないのだが、
それでも価値観の多様性が脅かされていることだけは明言できる。
そして、価値観の多様性の根拠を、
生物学でも歴史でも経済でも、
色々と求められると思うのだが、
それを担保する為に「言論・表現の自由」があるのであって、
価値観の多様性を脅かす言論、表現は真っ向から否定する。
それは「自由」を抑圧する行為ではない。
どこぞのヘイト・スピーカーが「言論の自由」を誤用してるので、
僕は真っ向から否定する。
ヘイト・スピーチ、ヘイト・クライム、ファシズム、全体主義、同調圧力、
それらをキチンと真っ向から否定しなければならない局面にきていると感じます。
自分には子供がいないけど、
次の世代にこの息苦しい価値観以外の選択肢を残すために。
これ以上、価値観の多様性を狭めない為に。
精一杯生きようと思います。
すーじん
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