2019年4月27日土曜日

音楽は関わりの中で生まれる

目眩がしている。

一人の天才が独自の世界観を具現化し感動的な作品を創り出す、という物語は芸術に対する(根深く浅い)イメージとして通用している。その物語は確かにメディア向きでキャッチーだ。

しかし実際は、人と人との関係の中にのみ「パフォーミングアーツ」は生起すると今では思っている。自分が今携わっているのは音楽(と障害福祉)というフィールドだが、音楽は作曲家や演奏者の内側から外側へと伝わるというような「近代的な」世界観ではなく、演者と聴衆の関係の中で生起する流動的なエネルギーだと思うからだ。

つまり、ネットワークの中で音楽が起こるのであって、特異な一点から一方的に伝わるのではない。その構図はダンスにも当てはまると思う。

冒頭の話に戻ると、「振付家」や「演出家」が特異な一点として「作品を創り出す」という世界観に、作家の古びた妄執と、そこにしか活動の支点を作れないダンサーの悲劇を感じる。それらと距離をとる為には、自分たちが新たなネットワークを構築していくほか手段はない。

2019年3月24日日曜日

新作に寄せて

3/31に大久保ひかりのうまにて、新作を発表します。
詳細
そのリハーサルを休日に詰め込んで試行錯誤している。

新作のタイトルは"kq"、単純に呼吸と停止で構成する作品なので、暫定的にそう名付けた。
公表する作品としてはウン年ぶりの「作曲」作品である。どこまでが作曲でどこからが即興なのか、私はまだまだ不勉強で明確な定義を持っていないが、"kq"は3種類の呼吸の回数と停止のみが指示されている、ごく簡潔な「譜面」を目指して研鑽と検証とを繰り返している。

そのモチベーションは、前作"a440pjt"が、リハーサルを重ねた末の「即興」作品であり、自作自演が前提となっていたが、そこを捉え直す契機として、また、時空間の構成を予め決めることには構造的な強度が必要なのではないか、ということについて考えてみたかったからである。

そも、バンド時代から「譜面」を書くという作業をしたことがない私であるが、"kq"の「譜面」は、「戯曲」や「舞踏譜」、もしくは「コマンド」とも呼べるものに仕上げていっている。構成を手を使って書き出すという過程で、誤読される可能性をなるべく排除しようと整理、客観視「できる」とも「してしまう」とも言える、至って必然的な事象に初めて気づいた。いわば、構成を記号に置き換えて簡潔に表そうという過程で、構造という捉え方が不可避になってくる。

また、時空間を構造化していく時に、構造としての強さを模索(=簡略化なのではないかと考えています)していくと、既存の類型(起承転結とかソナタ形式とか)にもぶつかる。自分自身、つい類型を準えたりしている。それ自体が反省すべきことだとは思わないが、自分がこだわってきたこと;存在としての強度を強めるために、即時的な判断で時空間を構成していくこと、または、scscs時代のような口伝で構成する手法を大切にはしたい。つまり、類型の選択に、必然性や強い動機付けが必要なのだと思う。

"kq"に於ける暫定的な結論を述べると、類型に依る強さはある、が、構造を単純化していく中で必然性が失われれば、それは自分にとっては無味である。無味は一つの味なのかはさて置き、必然性に則ると類型がアレンジされていき構造は複雑化していく、いわば、個人の必然性と全体の構造的強度が相反する概念として自分の中にはある、という発見は何かしら含蓄があるように思った。

2019年2月13日水曜日

Sound Sample Market vol.1 を終えて

たった3回の公演だったが、自分のパフォーマンスについては毎回ブラッシュアップされていった。そして、12日夜の最終回は暫定的な回答と呼べるような、満足の行くパフォーマンスができた。

どんなに稽古をしても、お客さんの視線にさらされて初めてわかることは、舞台をやっているとママある。今回は特に自主企画だったけど共演者がそれぞれソロをやって、その流れ、醸成されて来た空気をどう受けるか。どう流すか。どう変えて行くのか。という経験は本当に久々に直面した。

でもおかげで、演劇やダンスでは行けない(と思う)ところの景色を観る事ができて、いま静かな満足感に満ちている。

お客さんに刺激的な言葉をたくさん頂けた。色んな感想があったけど、その中でも「死のイメージを感じた」というのが心に残っている。
それは、自分が自殺しようとした事があるとかいうことではなく、"物"になりたいという願望が「物体になった人間=死」なのではないだろうかと推測する。

何の変哲もないものを、美しく見せたいと思う。ロープの曲がり方、脚立の不安定さ、アルミホイルの輝き。それらと同化したいとは思っていないが、近づきたいという欲求は確実に自分の中にあって、近づく為に集中する、それによって平穏や調和が生起すると考えている。少なくとも自分の中では、うまくいっているときはその状態にいける。

耳を澄ます。目を凝らす。の延長にあるもの。感覚が研ぎすまされると、いつしか自我が薄れて行く、その境地。
そこに共感できるか、距離を持って観るかで、大きく反応が変わると思う。

「調和」がアーティストとしての活動のコンセプトであるように、私は自分が先ず救われたいが、同時に立ち会ってくれた方々にも同じ景色を観て欲しいと願っている。
その成功率が低いという意味では、"a440pjt"もまだまだ発展途上ではあると思うのだが、ここで一段落つけて次の作品作りに向けて動き出したいと思っている。

それは終止符ではなく、休符を置くようにいつか再開することを既に予感している状態だ。そして、他のプロジェクトを進める中でも何度も立ち返るし、その度に持ち帰れるものがあると思う。そういうライフワークに30代前半で出会えたことはラッキーとしか言いようがない。

SSM vol.1は残念ながら批評を生業としている方には立ち会って頂けなかったので、作品群に関するテキストが残らなかったのは痛恨ではある。できれば、批評ではなくても、多くの方に文章でそれぞれが感じた事、自身の中で起こったことを残して欲しい。

それがまた自分への刺激と確実になるし、周囲へも細やかに波紋を広げていけるのではないだろうか。

ご来場頂いた方、ギリギリまでご検討下さった方、遠くから応援して下さった方、本当にどうもありがとうございました。
精進致します。今後ともよろしくお願い致します。

2019年1月28日月曜日

想像力という言葉より可能性という言葉を使いたい

自分の生活と人生において、大切な物は可能性で、つまりは病気や老後に備えて毎月保険をかけるより自分に投資して感覚を肥やした方が良いと考えているアーティスト人生である。

先日、現代美術の批評家として名高い某氏が「文系は想像力の為の学問だ」というようなことをTwitterで仰っていたが、私は想像力という言葉より可能性の射程距離という言葉に置換したい。理系的な言葉使いの方が、いま私が生きる現実に対して有効だと感じる。

私は夢見ている、というキング牧師の有名な言葉があるけど、この力の言葉の強さは夢見ると宣言することによって抑圧された人々たちとそこに連帯できる人たちに、共有可能な理想の未来像を示唆したからにほかならない。

それは想像力というより、可能性の種を蒔くような作業だったのではないか、と思う。想像力や夢という言葉も現実的な力を持ち得るとは思うのだが、「夢があっていいですね」が何かしら堅実に生きている人からの切断を意味する時代だから、至って静かに「なんの可能性もない人生をお送りですね」と返してやりたい。(嘘です)

可能性、ならば生きている全ての人に関わりのある言葉であるように思う。無宿者でも定職に就きたいのか、気儘に生きて行きたいのかで、可能性の定義は異なるし、そこに可能性を残さないと押しつけになるよね、ということも今一度確認する必要があるだろう。

つまりは、可能性の射程距離の狭さが私たちの選択の自由を狭めていないか、という空気を感じるのである。しかし、その空気をなんとかしましょうよ、という展開も大切だが、世界にはこんな可能性があるのだ、というモノを提示することを私はライフワークにしている。

アーティスト人生を生きて行くことは生易しくはないけれど、常に可能性はあります。それは私が何者であるか自覚する為の営為であり、そこに先人がいたということだけを励みに、そして私もそのような後続への励みになろう、というだけの営為だ。それだけの可能性だが、決してその射程距離を侮る勿れ、と強く思うのである。

2018年11月20日火曜日

「コンテンポラリー」な「作品」を創ること

私は、バンド時代からずっと「コンテンポラリー」な表現に関わって来ていると思っていて、つまりは何かしらの同時代性や先鋭性というものを裏に標榜して創作してきた。

それは、他ジャンルも含めた同時代の作家たちから影響を受けたり、自分の中を掘り進める道を探り当てたりする作業で成り立っているように思う。

しかし、どんな形であれ自分は舞台上に「作品」を乗せてきたし、それは評価や実績などの対外的な理由以外に、まず自分自身にとってたくさんのものを享受させてくれる行為であったことは、今一度確認したい。

しかし、それでは自己満足と言われても致し方ない。自己満足が、大切ではないかという思いもあるが、それはここでは置いておこう。

今日、JR横浜線に乗っていると、障害があると思われる人が乗って来て、ひたすら独り言を喋っていた。その空気。自分は障害者には慣れていると思っていたが、やはり彼の行動はその場にそぐわなかった。なぜか肩身が狭い思いをした。

と、同時に、自分がやりたいこととはこういうことではないかと思った。暗黙の規範に入る亀裂に気づかせる事。もしくは規範自体が脆く危ういということに気づかせること。

それはまるで障害者の行動を街中で模倣すれば可能であるかのようにも思ったが、しかし。「愚者」を模倣することは「愚者」を真に「愚者」として扱うことに他ならないのではないか、或は、障害者は自身の生まれ持った特性が規範に当てはまらないのならば、規範の中にいるかのように振る舞える自分は内側からアプローチする必要があり、それは彼らとは別の道を取るべきではないのか。などなど。決してそれがいい手段には思えない。

ここで文頭に戻る。昨今、「コンテンポラリー」な「作品」というものが疑問視されているように思う。自分は現代美術は齧っている程度なので、ダンスについてしかわからないが、現にコンテンポラリーダンスは劇場用コンテンツを商品として如何に洗練させるかという競争になってしまったように思う。劇場や共同体の規範を問い直すより、その規範の中でいかに「価値」のあること(異文化交流、高度な技術の駆使、適切な謎かけと抽象的な回答、など)をやって助成金をいかに獲得するかを最優先しているように思えてしまうのだ。

そこに規範の問い直しはない。規範は暗黙のまま承認されている。これは好機でもある。そう思い、『ヒト、ヒト、モノ』を山下と創作し、せんだい卸町アートマルシェで上演してきた。劇場という空間のルールを「平和的」に脱臼させることを試みる「作品」だった。

無論、劇場、疑似劇場的な場以外において何かを仕掛けて行く方が今日、最も「コンテンポラリー」なのではないか、という問いは有効だと思う。劇場に来ている人間が限定され過ぎているし、仮にそこで規範の亀裂を見せたところで、「アート」という枠組みに回収されて現行のルールには何の影響も及ぼさない。

しかし、自分は敢えて閉鎖された空間の1時間程度のコミュニケーションに賭けてみたいと思っている。「フラット」とされる空間だからこそ起こりうる小さな爆発が誘爆し、同時代に伝播していく。そんな夢を諦められないでいる。まだ「作品」を創り続けたい理由は、それだけだ。

2018年10月30日火曜日

機能と遠景

現在、協働プロジェクトを進めている山下が、ACACにレジデンスしていることもあり、オープニングパフォーマンスの音楽担当で青森に行ってきた。

帰りに十和田市現代美術館に寄った。毛利悠子さんの個展。それより遥かに大きな分量が割かれている、所狭しの常設展示。
家族連れや若いカップル、中高年の夫婦、かなり多様な人々が美術館を訪れていた。
一見、十和田市現代美術館は地域に定着しているように思えたが、アミューズメント化している状態はあまり心地の良いものではなかった。

一方で、松本茶舗さんでの町中での毛利悠子さんの作品と栗林隆さんの作品はとても良かった。また、それらの作品をきちんと位置付けするトークを聞かせてくれた店主にも非常に好感が持てた。

無論、美術館があるからそのようなサテライト活動が可能なのであって、その逆はありえない。

しかし、「アート」の敷居を下げるなら、やはり作品が町中にある(そしてアーティストは町との共存を求められる)方が、骨太な活動になっているように思えた。

十和田市現代美術館は、複雑な建築、大量の常設作品で埋め尽くされ、そこには遠景に町がなかった。地方都市にアートが在る、とはどういうことなのだろうか。その問いに答える為には、まずは自分自身の機能を明確にさせなければいけないか。

東京も一つの地方都市に過ぎないが、東京にいるだけでは出会えない問題系というのも存在する。東京の美術館は、町と共存しようとしなくても、遠景があると思う。それがいいことかどうかはわからない。しかし、その遠景が思考や認知を進めさせる。

遠景には何を代入しようか。思想か、生活か。それは自身の活動を大きく揺さぶる体験だった。

2018年8月26日日曜日

他者性と調和について

scscsが「舞台作品」を作りはじめたとき、民族音楽というキーワードを用いたが、それは日用品を楽器として用いるからではなく、都市の中で耳を惹く音を如何に模倣するかという試行だった。

民族音楽という言葉をなぜ借用したか、其の時分は明確に述べていなかったので、ここで簡単に述べる。

民族音楽という言葉には、共同体が前提として想定されているが、幼い頃から共同体の成員としての意識を持ちにくかった(但し、それが自分に特有のものだったかどうかは濁しておく)自分は、他者の「わからなさ」について常に直面し悩まされてきていたように想う。

バンドメンバーもカンパニーメンバーも共作者も、「わからなさ」を前提にいかに共同体を創造するかを試行錯誤してきた。その時、アウトプットを音楽と仮定するなら、「自分たち」の民族音楽を発明したいという言葉が最も違和感が少なかった。

しかし、他者のわからなさは、延いては自分のわからなさであり、自分を他者として扱えるかどうかの格闘である。そのことに気づいて、ソロ活動に注力した。

「わからなさ」の毒を中和して、ただ在ることを肯定する。"a440pjt"はそういう試みだった。物と自分と時空と聴衆。全てが調和していることは、全てを存在においてのみ肯定することから始まる。そのような低体温の共同体。

それを目指すようになって、もはや民族音楽という語は不要になった。

そこから翻って、再度、他者性;「わからなさ」というものに着目している。

昨年から障害福祉の仕事をはじめたことも影響している。また、ダンサー・振付家の山下との恊働プロジェクトが開始されたこともある。もちろん、自身がわからないということも引き受け続けている。

しかし「わからなさ」はなんと原初的な引力を持ちうるか、ということに気づいたことが最も大きい。「わからない/不明瞭な/認知し切れない」ものに感覚を惹き付けられて止まないのは生理的反応に過ぎないが、生理的反応こそ「美しい」の要件ではないのか。

そして、その他者性こそが調和の奇跡を産み出す基点であり、関節であり、終わりなき線の行く末であるように思う。

つまり、僕は永久にわからない。わからないという真空状態、その事実においてのみ、僕は全てを肯定できる。その可能性が、僕にエネルギーを与えてくれるのだ。