2022年6月18日土曜日

プレイリスト流すようにして"kq"を流してよ

音、そのものを聴こうとする時間を継続すると、何かしらの瞑想のように心が洗われるような、穏やかさ、そのような小さな火が熾るので、ジョン・ケージのように作曲者自身が音を指示しないということは、その目的に則した率直な手法だったと思う、かつては。

いまの世間的には、音、というより音楽は「聴く」より「流す」ものになっていて、場所や人の「モード」を象徴する、それはそれとして私も受け入れているし取り入れているのですが、どうしても時間の持続、誰かのプレイリストではなく、アルバム単位で自分との時間を共有して欲しくて、最新作の"kq"は敢えてCDという形式を採ったのでした。

多様な人が実践可能になるように、呼吸を素材にして音楽をつくる、ということを標榜しているけれど、音そのものを聴くという行為は、みんながみんなするものではない。だけど、自分が音楽=時空間を構成しているという自覚と共に音を出すと、音に対して鋭敏にならざるを得ないし、聴かせる為に音を出すのではなく、自分の出す音と向き合う時間になる、やはり実演される為の音楽なのだと思いますよ、"kq"は。

と思うけど、CDのように「聴く」もしくは「流す」行為でも味わえるよ、もちろん、そういう側面があるからCDにしたわけで、そう"kq"は流しても、聴かなくても、心地よく無意味に時間が流れていく感じがする。思考することを邪魔しない音楽なんだ、これは。えへん。

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