昨夜は全く眠つけなくて、開き直ってブログを書きはじめた。12時過ぎても夜更かししたのは何年振りだろうか。
最近、年上の知人と話していて、私の持病について、具体的な落とし所もなく責められた。その知人とは信頼関係を築いて来たつもりだったし、自分も心を開いていたので、その不意打ちにとても傷ついた。結局、その件は共通の知人が間を取り持ってくれて、なんとか収まったのだが。
しかし、その時感じた「自分で自分を把握できない苦しみ」「それを周囲が理解してくれない苦しみ」が持つ痛みの味わいには、懐かしさがあった。私はこの痛みを知っている。
10代の頃、小6最後の頃〜中学〜高校という時期、「引きこもり」として過ごした。中3以降は体調がいい時だけ、無理ない時間に登校したので、学校に友人はいた。
家では親が「何故学校に行ってくれないのか」と苦しんでいるし、学校ではクラスメートが「佐々木ってなんで学校こないわけ?」と無邪気に茶化しながら聞いてくる。
きちんと敷かれたレールを踏み外したのだから、何か理由があるはずだ、それを説明しろ、説明しないなら努力を見せろ、迷惑や心配をかけてすまなかったと周囲に謝れ、などと言われ続ける暴力は、10代から30歳頃まで続く。そんなに長い間、同じことを言われ続けると、自分には致命的な欠陥があって「普通」に生きることができないのだと思うようになった。そのような暴力を器用にかわしたり、抗弁するということが、生来下手なのだと思う。
そんな中での救いは、音楽を聴くこと、散文を読むこと、映画を見ること、などなど。引きこもりの時期と被るように始まった、文化的な創作物に触れる時間で、私はようやく、深夜にひとり、息ができた。そしていつか自分も作品を創りたいと思っていた。他人が私という人間を理解することは未来永劫起こり得ないが、「作品」を媒介に私は他人と繋がれると直感していた。
そして、その直感が確信に変わる時が来る。2017年から始めたソロ・パフォーマンス"a440pjt"で、観客の全員ではないけど少なくない人数が集中して興味を持って見守り、惹きつけられている、と実感できる瞬間が、複数回の公演の中で起こった。私は自分の内側と外の世界との接点がようやく生まれた感じがした。
自分が美味しいと思ってる料理を振る舞ったら、黙々と夢中に食べてくれる人がいたという発見に近いかもしれない。味の感じ方は人それぞれだし、歓声などでリアクションしてくれるわけではないけど、自分が良いと信じて紡いだ時間と空間に夢中になってくれているのは伝わる。
初めて他人とつながれた。その手応えは、何ものにも代え難い経験になる。ライブでしか起こりえない、その実感は、私には生きていく上で必要不可欠なのだ。つながりが持てなければ、他人とは相入れなくなってしまう。多くは書かないけど、自分がつながりを持てないままだったら、他人から受けてきた暴力を暴力で返すしかなかっただろう。私はただただ幸運だったという他ない。
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