2025年3月13日木曜日

君と踊りあかそう日の出を見るまで

昨今とみにキナ臭いニュースが多い気がして、気が滅入る。春先の気候のせいか人身事故も多い気がする。

2015年、安保法制の反対デモに参加するために国会前にいた。まだハタチくらいの若い男性が、デモ隊に「じゃあ対案出せよ」と罵声を浴びせていた。「Aという法案に反対するなら対案を出すべき」とか「その財源は?」とか「あなたの頭の中はお花畑だよ」とか、どうでもいいことに私たちは賢しらになっている。民主主義とか、民主化とか、(少なくとも日本語文化圏では)もうかつての輝きが失われて久しい。もう安保法制強行採決も、10年前になるのね。

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私たちが私たちという共同体になるために、建設的な方法はコミュニケーションのみだと思うのだけど、「主観と主観の交換」という表現を最近知った。
『ケアする対話 この世界を自由にするポリフォニック・ダイアローグ』という本で知った。

「ケア」という言葉の流行を、少し敬遠していたのだけど、私のような初学者にこの本はなかなか良いようです。
twililight(トワイライライト)という三軒茶屋の本屋さんにふらっと入り、目に止まって買いました。

「主観と主観の交換」の箇所を引用する。オープンダイアローグというケアの技法を7つの原則から説明している、7つ目の箇所。
7つ目の「対話主義」は、対話自体を目的化するーーもっと言えば、対話さえ続いていればなんとかなるという、一種の楽観主義のことです。但し、議論、説得、説明、アドバイスなどは対話ではありません。これらはすべて結論ありきで、それを相手に飲み込んでもらうためにするモノローグです。それから、「正しさ」や「客観的事実」も有害な概念です。何が正しいとか、何が客観的かということを一旦忘れないと対話はできません。対話というのは主観と主観の交換ですから、いかに相手の主観をみんなで共有するかということを考えます。(p41)

自分や、自分たちの子どもや、自分の友人、その子ども、大切な人、親族、皆んな生き延びてほしい。生きられる、生き延びられる知恵のようなものが、小さな本屋さんや小劇場や美術館やアスファルトの道端に転がっている。それは素晴らしいことでしょう。

そういう小さな営みを大切にすること。他者の小さな営みも、自分と同等に尊敬する(個人的に「尊重」という言葉の不明瞭さが苦手なので、「尊敬」にしてます)こと。それは、ひとりひとりを砂つぶに還元しないという意味で、価値相対主義とは異なる、新たな可能性だと思う。私は小さな希望を持っています。

余談ですが、このブログ記事のタイトルはJAGATARA『君と踊りあかそう日の出を見るまで』を借用しました(笑)



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