2025年2月28日金曜日

息だけしてゐる

ウツで精神障害者手帳2級を持っている私としては、布団に寝そべって眠るわけでもなくスマホを見る余力もなく「息しているだけだな」という時間が膨大にある。

からだが重い。気持ちが興らない。何も手につかない。という、不定期に訪れる不調と共に生きるようになって10年以上経つ。よく生きて来られたものだ。

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"kq"の「呼吸音で時間を構成する」という当初のコンセプトも、息しているだけのたくさんの時間、その経験という土壌から萌芽、発案したものである。

息してるだけの時間を、そのまま舞台に上げるという私の頭の片隅にあった夢は実現したとも言えるし、してないとも思う。極度の集中力、緊張感を持って舞台上で観客や環境音と「共存」しようとすることで、結果「舞台でのお約束」的な制約が発生している。

「お約束」を徹底できるほどの技術は残念ながらないのだが、それでもやはり「視線が宙空を漂わないべき」「咳やクシャミなどのアクシデントを避けるべき」「場の責任を引き受けて一挙手一投足自覚的で在るべき」などなど、なぜか無数のお約束を自分に課している。

2017年、ソロ活動をしようと自覚的に発表した"a440pjt"という作品は、インスタレーションを即興的に設営し、最終的に自分もその一部になる瞬間を作る構成だったのだけど、自分を「物化」することでなんとか自身を上演の場に置くことを可能にさせる作品でした。


だから、パフォーマーとしての自我は「ない」ように振る舞えていたし、即興的な要素も強かったのでアクシデントが起こることもままあった。

それが今ではどうですか。「呼吸」を題材にしているはずなのに、息苦しい作品になってはいないか。

昨年、秋の関西ツアーでパコカパ(神戸)というライブ居酒屋に行った時、上演前にパコカパ店主・だるそんが「すーじんさんの上演は、お客さんに静かに聞いてほしいのか、それともお客さんはのびのび聞いていていいのか」という旨の質問をしてくれて、その日から前説で「お客さんもリラックスして聞いてほしい、衣擦れなど多少の音が出ても気にしなくていい」ということを伝えるようになった。

小さくて大きな一歩である。

それにしても自分の舞台に「お約束」が発生してしまっているのは、なんとかならんのか。
「お約束」の正体は美の排他性であるように感じている。

2025年2月21日金曜日

今成哲夫と海に行く

先日、うちの子どもを連れて友人のシンガーソングライター今成哲夫と三浦海岸に行った。レンタカーでひゅっと行ったから、どこの駅からも遠い、冬の海。子どもは貝殻を拾い集め、その隙に哲夫からもらいタバコをする。ここ数日、東京はとても寒いけど、陽が照ってとても暖かかい。子どもと哲夫が浜辺の漂流物などを拾ってきては並べて遊んでいる。


どこまでも広がる青い青い空間と、柔らかい波の音と砂浜を踏む足裏の感触と。私はなにかしら気が昂ってきて、上着を脱いで砂浜に両膝をつけうずくまる。遠い海岸線に向けてお辞儀をしたり、水平線に正対したり、砂に両掌を押し付けたりしている。もどかしい。この高揚を、表現できない。

なんて自由なんだろうと、久々に思った。そのとき、なにかから解放されていた。なにから?生活?自意識?義務感?なんだかわからない。私は子どもを目で追いながら、海と空に静かに侵食されていった。

中学生のとき、地元友達と二泊三日野宿しながら東京から千葉県の東側、九十九里の海岸まで自転車で行った。あの時の感じ。何も変わっていないんだな。あの息苦しさは、また私の生活にまとわりついているのか。

いや、変わっていなくはないのだ。私はあの時ほど生きること、生きていくことに恐れはない。新しい家族と生活し、しなければならないことや責任が増え、自分のやりたいことに意識を向ける時間を作るのが難しくても。私はいまは不自由ではない。生きることを恐れていない。

時々、私はなんでこんなに「誰か」のために生きられないのだろうと思う。家族のため、人のため、社会のため、国のため。全て私からはつながっているように見えて、苦手だ。苦手だ、という直感より先行して、私という人間に欠陥があるのかと、疑念がよぎる。でも、もう仕方ないのだ、私は私だから、と言い聞かせる。

やるべきことは後からついてくる。なにの後?やりたいこと?やりたいことなんてあったっけと思う。誰もからも望まれていないのに、表現活動をやり続ける。やり続けている。理由はよくわからないが、少なくとも「誰か」のためではない。

今朝、子どもが三浦で拾ってきた貝殻を紙粘土に埋め込んで、なんだかわからないものを作った。

2025年2月14日金曜日

僕、パンク・ロックが好きだ

「僕、パンク・ロックが好きだ」このブルーハーツのフレーズ、何万回擦られても生き返る感じがあるよね。今回はパンク・ロック、もとい遠藤ミチロウさんについて語ります。

1984年生まれの私は、中高時代にHi-STANDARDやbrahmanが「パンク」として人気を博していたが、当時セックス・ピストルズが大好きだった私としては「孤独じゃないのはパンクじゃない!」という抵抗感で胸がいっぱいだった。

今聞くとハイスタもブラフマンも結構いいなと思うけど、私は中高時代は悪魔崇拝(笑)に取り憑かれていたもので、ただアレンジがシンプルで早い曲というだけで爽やかな「制汗剤臭いパンク」なんてパンクじゃないと心の奥に噛み締めながら、先輩たちのコピバンに付き合いでヘドバンしていた。

さて、それで今回は遠藤ミチロウ(1950-2019)さんについて書いてみたいと思います。

ミチロウさん、と親しみをこめて呼びたいが面識ないのにオコがましい感じがするので、遠藤さんと書きますが、泣く子も黙る日本のパンクバンド、ザ・スターリンのフロントマンであります。


意外とYouTubeに80年代のザ・スターリンの動画は多いので、気になった方は検索してみてください。(APIA40さんがあげてんだね)
ちなみに上記の動画ではドラムをブランキージェットシティで知られる中村達也さんが叩いてる模様。照明がほとんど当たらないので顔がわからないが...

こんな絵に描いたような「過激さ」だけど、メジャーデビュー時、遠藤さんだけ既に30代なんだよね。他のメンバーは20歳くらい。(初代ギターでサウンドに大きな影響を与えたという金子あつしさんは年齢不明)

町田町蔵(あの町田康)がフロントマンのINU『メシ食うな!』が1981年、アンサーソングであるザ・スターリンの『ワルシャワの幻想』が1983年。


最初聞いたときは、「俺の存在を頭から輝かさせてくれ」「メシ食わせろ」など、ただ反対語を並べただけのヒネクレアンサーソングかと思ってたんだけど、柳美里さんの『JR上野駅公園口』を読んでから、1950年代福島県生まれの遠藤さんが「お前らの貧しさに乾杯」と歌う意味というか、スゴみ、深みは心に沁みるものがある。

2011年の東日本大震災以降に発表した『FUKUSHIMA』(2015)には、『ワルシャワの幻想』セルフカバーの『三陸の幻想』、福島県浪江町のことを題材にした歌「NAMIE」が収録されていたり、遠藤さんが設立時に代表を務めた「プロジェクトFUKUSHIMA!」では盆踊りを発案したとか。

遠藤さんのことを考える。どこかで故郷や家族、身近な人のことを思いながら、全てを拒絶するパフォーマンスを貫いた人。INUの町田町蔵という年下の才能を目の当たりにして、嫉妬したか。いや、むしろ、遠藤さんは音楽がめちゃめちゃ好きだけど、「音楽からは愛されていない」という距離を感じていたのではないかと思う。だから遠藤さんは嫉妬しなかった。ただ、別の「戦い方」を希求した。

遠藤さんの「パンク」はシンプルでわかりやすかった。多分、わかりやすさにこだわった。シンプルなメロディと、全てを拒絶するような言葉遣いの歌詞にこだわった。なにに関しても「アンチ」であるかのように振る舞った。当然、孤立しただろう。メンバーも入れ替わり立ち替わりだった。

そして遠藤さんはひとりになる。1994年は、『カノン』や『Just Like a Boy』など素晴らしいアコースティックギター弾き語りの「歌もの」を収録している『空は銀鼠』を発表している。どちらも内省的で影のある歌が弱々しく吹き込まれている。

ザ・スターリン以降は、派手なパフォーマンスはせずに晩年までいろんな人とバンドを結成したり、アコギ一本での弾き語りツアーの傍らサイドプロジェクトを立ち上げたりしている。人徳なのかもしれない。孤立していても人から慕われた。もちろん、この辺りのことは身近な人にインタビューでもしないとわからない。

でも、どこにも属さない、のではなく「属せない」さがを背負っていたのではないかと空想する。それを、「アンチ」にまで先鋭化させて振る舞っていたのではないか。「属せない」からこそ、「家」、「父母」そして「日本」という制度に違和感しかなかった。そのさがを最期は肯定できたんだろうか。

そんなことを思う。

2025年2月7日金曜日

「正しさ」のない世界に正しく絶望する

アメリカでD・トランプが再び大統領になって、この数週間で論理的・倫理的「正しさ」は退廃している。建前ですら「正しさ」を用いないとはどういうことですか。ツラい。

ツラさをバネに頑張るしかないっす、と己を奮起させようとしても気持ちは立ち上がらない。この世界で何ができるというのだ、という虚無感が強すぎる。

D・トランプが大統領になり、かなりの大統領令を発している。

【随時更新】トランプ氏が大統領令に続々署名 一目で分かる政策一覧(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/AST1L1T17T1LUHBI009M.html

「「侵略」する外国人の入国禁止」「性別は男女の二つのみ」「DEI(多様性・公平性・包摂性)の取り組みを廃止」「「パリ協定」から離脱」などなど、みているだけで悪趣味で無教養で邪悪な人間性が垣間見える。

また、パレスチナのガザ地区をアメリカが「所有」するという旨の発言が一昨日、2月5日かな。とにかく醜悪でうんざりする。人間をなんだと思ってるんだ。

と、このようにD・トランプ氏のことを(たとえ感情的にであれ)批判・糾弾する姿勢が、日本の各大手新聞社などマスメディアに一切見られない。

「日本はアメリカの属国だからしかたないよね」という冷笑的な態度にならず、「どっちもどっち」で日和見して静観せず、ただただ「おかしい」「間違っている」と言い続けるのは、とても健全で建設的な態度だと思う。

2003年、大学1年のときに好きだった予備校講師のクラスでのディスカッションにモグリ、「イラク戦争は、空爆で女子どもを無差別に殺しているので間違ってる」という主旨の発言を最初に打ち立てたら、「もう既に起こっていることを批判するのは無意味だ」という反論をクラス中の生徒から頂いて、そのときは反論できなかったことを思い出す。

いまなら言える。「民主主義の限界」「欧米ヒューマニズムの聚落」だろうがなんだろうが、間違っていることは間違っている。お前の背中を子どもが見ているぞ、と思う。私はあらゆる差別に反対します。あらゆる理不尽な暴力に反対します。この意志を死ぬまで貫きます。