育児はパートナーと分担してやってるわけですが、それでもなかなかに忙しいわけで、毎日やってることといえば喫煙、そうだこれで作品でも作るか、と思い立ったが吉日、ほぼ呼吸音で構成した"kq"(ケーキュー)の成り立ちであります。
というのはショボぴ〜な嘘で、"kq"の起源は、パートナー山下彩子のダンス作品"tiny choices, tiny things"で呼吸音のみの生演奏で伴走したのがきっかけです。その時は、もっと強い発音も混ぜて緩急作ったんですが、それから、おお、これでソロ作れる、やったやった、ってなって初演は2019年3月、『声が言葉を失う時』という楽器なし、声のみでパフォーマンスするっていうルールの、ザジさんのイベントで、SM58(マイクね)とスーパーボール1つ使って(反則ギリギリ)30分やったのですが、スーパーボールが開始早々あらぬ所に転がっていく始末、事前に準備していた作曲構成吹き飛んで、即興で息だけの30分を上演したのでした。
それからずっと温めて、寝かして、というか忘れていたわけでしたが、愛知県芸術劇場主催のAAF戯曲賞21に譜面で応募しよう!なんかいいじゃん!と不意に閃いて、ところが、自分の譜面にできるような、作曲作品のレパートリーなんて"kq"しかないじゃん!となった次第。
それから仕方なく再度呼吸音と向き合う退屈な日々、且つ、まぁ演劇の戯曲賞に音楽の譜面で応募するからには、と、それなりの付け焼き刃で理論武装しなければ、アルトー『演劇とその分身』ケージ『小鳥たちのために』を斜め読みして、戯曲賞に譜面で応募する意義をでっち上げ、る、のが大変、譜面と向き合いながら、小難しい言葉でいかに煙に巻くかを思考、試行する日々、育児と家事の隙間時間をフル活用。
新生"kq"の方はコンセプト事前に決まってて、「ひとり遊びのように自分に集中することで時空間を構成する」というのがあったので、案外するすると進む、が、そこは呼吸音、自分でパフォーマンスするなら、如何様にもできる部分を書き言葉、もしくは記号で伝えなきゃ聴く気になるような音にならないわけで、聴く気になるような音にならないものを譜面にしたところで相手にされまい、そうだ、テキストを付けてみようと思いついた、は、いいものの、テキストがグチャグチャ、良くいえば奇想天外、まぁ拙い。
ということで。記譜とテキストとロジックを同時進行せねばならない。四面楚歌より四面楚歌。そっか、ってことで、這々の体で形になったのが締め切り3日前。ってのは盛り盛り。
で。これ人が読んでも伝わるのかな、ってのが最大のネック、なんせ独自の記譜法と自前のテキストで呼吸音の微妙なニュアンスを指示しなきゃならないわけで、そこで必要なのが親愛なる友人。今回はへちまひょうたん、ことヒメノにお願いして、譜面だけ渡して感想を聞こうという魂胆。そうしたら、ヒメノ、突如軽トラを爆走させ、音楽スタジオまでかっ飛ばし、日夜こもって試してくれる徹底ぶり、一部、盛り盛り、真面目な友人、本当に助かりました。当然、フィードバックも微に入り細に入りの徹底ぶり。本当に助かりました。
ということで、無事に3日前に発送、締め切り前日に到着とのこと。無事に応募できたのでした。音楽の譜面で。演劇の戯曲賞に。はて、さて。
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