2019年10月20日日曜日

新作「落々」について

ソロ新作のタイトルを「落々(らくらく)」とした。ネタバレすれば、空き缶の上に立って物を落とすだけのパフォーマンスだからだ。

物が落ちる時の音に美を見出したのは、松本一哉氏の『落ちる散る満ちる』に先を越されているし、サウンドアートの先駆者、鈴木昭男氏が1960年代に階段から物を落とすパフォーマンスをやられていたそうなので、別段真新しいかは、まぁ、正直疑問ではある。

しかし、空き缶の上に立つという負荷のかかった身体に起こるノイズを拡張してはどうか。そして、ノイズを抑えてポツリと物が落ちた瞬間の目を見張る感覚は、なんなのだろうか。

まだ言葉は追いつかない。「音楽」なのかどうかも正直わからない。

今のところ、30分弱のパフォーマンスです。11月アタマに2本、お披露目の機会がありますので、お立ち会いお願いします。ぜひ。

11/3 @小岩Bushbash
op 15:30 st 16:00(出演順未定)

11/5 @東高円寺U.F.O.CLUB
op 18:30 st 19:00(20:20〜予定

詳細

2019年9月14日土曜日

守るべきものがあるという美辞麗句について

今年の6月にパートナーの妊娠がわかり、それから2人(+1人)で生きていく為に八面六臂のバタバタの中で、はや3ヶ月、持病が大きくぶりかえしてしまった。

仕事をお休みにさせてもらって、親に金の無心を願い出て、将来への不安が大きく膨らんだところで、悪夢にうなされながら睡眠薬で明け方まで眠る日々の再来である。

これで本当に快復に向かうのかは、全く実感がない。とにかく休養をとるように努めるが、生活にメリハリがない為、なかなか気が休まない。いったいいつになったら動けるようになるのか、見通しのないまま、病院までの電車の中でふと考えた。

「守るべきものがある」という言葉はとても耳障りが良く、家庭を持つ多くの人にとって最も共感される言葉と言えるのではないか。かく言う私も、「守るべきもの」が、少しずつ形を成し、いつの間にかそれを遵守するという「気分」に巻き込まれている。

無論、それ自体悪いことはない。子供にとって親の庇護は必須である。

しかし、「守るべきもの」という美辞麗句の下に、何かを排除し、合法的に奪い、見栄え良く繕ってはいないか。「守るべきもの」以外を明に暗に、攻撃する。悪意すらなしに。

「気分」に巻き込まれるとは恐ろしいことだ。無自覚のうちに、攻撃される側だった自分が攻撃する側になっている。

「守るべきもの」を優先しつつ、心地よく閉じていながら誰もがすがれるヨスガがあるような場所を持ちたい、と思ったのでした。それはプライベートな問題に見えて、パブリックを考えていくことだと思うし、アートの在り方についても通底すると思う。


2019年8月6日火曜日

あいちトリエンナーレのこと

まだうまく言葉にできないことですが、言葉にしないと苦しいので、言葉にしてみます。

事実関係はこちらによく整理されているので、もしまだよくわからないよ、もしくは、断片的にしか知らないという方がいたら、目を通してみてください。
あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」をめぐって起きたこと――事実関係と論点の整理

この一件は、文化活動に対するテロによる脅迫の問題や、行政による検閲の問題として語られているように思います。また、憲法で保障される「表現の自由」の解釈の問題にもなっています。

あいちトリエンナーレ参加アーティストからの連名でのステートメントというのもあります。
あいちトリエンナーレ2019、国内外の参加アーティスト72組が声明を発表。「芸術祭の回復と継続、自由闊達な議論の場を」

細々ながらもアーティストとして活動をしている自分は、上記のステートメントに賛同します。
にも関わらず、なぜ、私はここまで苦しいのでしょうか。

これを読んでくださってる方は、私の政治的な立ち位置を普段から目にしてる方だと思いますが、今一度、少し自分の立ち位置について説明します。

ヘイトスピーチのカウンターに参加こそしたことはなかったものの、心情的には全く同意していましたし、価値観の多様性を否定する言論や表現にのみ、表現の自由はない、という観点からのブログも数年前に投稿しました。

また、2015年の安保法制あたりから、アンチファシズム、アンチ安倍政権を標榜して、ツイッター上での意見表明、リツートを繰り返して、フォロワーを減らしても、それは仕方のないことと割り切っていました。

ネット上以外では、2015年以降、デモには行ける限り行き(実質10回くらいだろうか)、それは意思表明である以上に、自分と同じ気持ちのたくさんの人たちと行動を共にして、自分の元気を取り戻す作業でした。

そのような小規模ながら、地道ながら、着実な作業だと信じていたものが、脅かされているように感じます。
自分の「表現したい」という根源的なエネルギーに暗い影が落ちているからです。

暗い影は、決してアタマのおかしな少数の人によるものではなく、この国のトップや中心に近しいところにいる人たちが率先して起こしている言動によるものです。

それが何を意味するのか。

「暗い影たち」の、「表現の自由への制限」に対しての誤った解釈を、論理的に正せば、私はまた、「表現したい」というエネルギーに身を委ねられるでしょうか。

私は、そうは思えなくて、苦しんでいます。

私がアーティストであることは、先天的な属性ではないので、ヘイトスピーチなどの暴力に晒されている当事者とは、本質的に異なるということは重々承知しています。

が、私は、いま、自分が「抑圧される側」だと思っています。それは想像していた以上に苦しいです。「表現したい」という自分の生活の根底に横たわる希望が否定されている。

どうしたらこの否定する力に抗えるのか、正直、わかりません。

2019年7月25日木曜日

『ヒト、ヒト、モノ』に寄せて

美というものを仮に、目を惹きつけるもの・状態を指す言葉だとして、ダンスにおける「美」は、「間(あわい)」の中に起こるものではないかと思う。

無機物と有機物の間、重力と無重力の間、自意識と無意識の間...etc

それらの「間」は、私の目を惹きつける。では、それをいかにして再現可能な形に落とし込むか。

まず私たちは観る者のチューニングを試みる。知覚を新鮮に開かせる為に、些細で間欠的な音を聴かせ、まず耳を研ぎ澄ます。

そしてダンスは自我を主張し過ぎず、かといってそれが無いフリをするわけでもなく、淡々と進む。幽けき音の中で、無機物の存在、その揺らぎと共に進行するダンスに、明瞭に定義できない複数の「間」が散りばめられる。

振付は、水の形象が作り出す線を「なぞる」というところから起こしている。水は、「間」を象徴するものとして、本作では様々な形で登場する。使用楽曲「蘇州夜曲」でも水のモチーフは複数回登場する。

そのドライな低体温の中で繰り広げられる劇的な展開に、誰もが目を惹かれずにはいられない設計を目指した。

2019年7月20日土曜日

パフォーミング・アーツと言葉

ダンスの山下彩子と、せんだい卸町アートマルシェ2018で初演した『ヒト、ヒト、モノ』を映像資料用にリクリエーションしている。

『ヒト、ヒト、モノ』は、"a440pjt"で培ってきた自分のライブ・インスタレーションに山下のダンスが絡む共作作品で、初演では30分弱だったものを20分に収まるよう、無駄な手を省きつつ、いかに作品のキャラクターを強固にできるか試行錯誤している。

作品のコンセプトがなんなのか、明確に言葉で共有した訳ではない。"a440pjt"を頻繁に観に来てくれていた山下が、それにダンスを合わせてみたいという意欲を持ってくれたのがきっかけだった。

山下のダンス小作品『ササヤカなキモチについてのセイリ。』(2017)、『Tiny choices, Tiny things』(2018)で音楽を担当し、少しづつ堆積して来た共通項を深める作業であり、それらの小作品の枠では果たせなかった共作に挑戦した時間になっている。

本作の一端を敢えて言葉で説明すると、『ヒト、ヒト、モノ』における山下のダンスは、「気配のダンス」という言葉が初演のリハーサル時のメモとして残っているが、奇妙な生き物のような、土着の踊りのような、独特の空気感を纏いながら、自分が創り出す幽かな音の空間に共存している。音によって踊りがきめ細かく映り、踊りによって音への繊細さが高まる、そんな時空間が時折、産まれる。

初演時に、同じく卸町アートマルシェに参加していたスタンダップ・コメディアンの清水宏さんに口頭で「他人に自分の中の必然性を伝える為にロジックは必要なんだよ」というお言葉を頂いたが、本当にそうだな、と今でも思う。

映像資料に付けるアプリケーションや企画書に、自分たちのロジックを伝えるための言葉が圧倒的に不足していることを実感する。それは、作品が煮詰められていない、ということではないと思う。パフォーミング・アーツにおいて、微細な感覚を積み重ねて作品を創って行くと、往往にして言葉は遅れていく。

言葉を追いつかせる、という意味で、作品を「言葉に起す」批評は重要だと思うが、一つの作品を長期に渡って育てる為にも、いつの日かの「単独公演」以前に、様々な人に触れてもらえるようにしたいと考えている。

なので、ご興味ある方は佐々木(sasakisujin@gmail.com)までご連絡ください。リハーサルにお越し頂く、映像のリンクを共有するなどのカタチで、ご協力いただければと思っています。フィードバックは雑感で構いません。

あと、アプリケーションはいくつか出しますが、他所でも積極的に上演したい作品です。こちらも合わせてご助力、よろしくお願い致します。

2019年6月16日日曜日

棚と白熊

先日、朋友・守屋パヤと高田馬場でコーヒーを飲んでいた時、どちらからということもなく、バンドをやろうという話になった。

守屋とは同じ高校ではなかったものの、その頃からの友人であり、scscs以前に"the Satellites"というバンドを二人でやっていたし、scscs第二期には何をしたいのだかハッキリしない自分をメンバーとして大変支えてくれた。

やりたい音楽こそ異なるが、数年前からの守屋のソロアルバムはどれも出来が素晴らしく(Sound cloudで一端が聴けます)、友人である以上に最も尊敬している身近なアーティストの一人でもある。

そんな守屋とバンドができることが嬉しく思い、昨今どんなバンドにするかということをずっと考えている。

なんせ二人である。ので、編成からまず熟慮しなくてはいけない。
一昨年くらいからずっと、歌と楽曲のリサーチとしてthe Satellites時代の楽曲をセルフカバーして研究を続けているのだが、歌とベースの相性というか、歌を支えているのはウワモノの音ではなくベースだということが引っかかっていて、ベースとボーカルの二人編成というのはどうだろう?と守屋に提案してみた。

面白そうだということで、ベースを借りて守屋の曲を数曲カバーしてデモを制作したが、大変感触が良い。歌が引き立つ。彼の歌はメロディがシンプルなので、ベースも大いに遊べる。

そんなデモ音源を数回やりとりして、バンド名が唐突に浮かんだ。
棚と白熊、というのはどうか。守屋は笑って快諾してくれた。
カチリとしながらどこか緩い愛嬌もあって、大変気に入っている。

近日中にデモ音源を公開します。またクローズドですがライブの予定もあります。知人ならご招待できるかも。ご興味ある方はお問い合わせください。

ぜひ、今後の動きにご注目頂きたい。

2019年4月27日土曜日

音楽は関わりの中で生まれる

目眩がしている。

一人の天才が独自の世界観を具現化し感動的な作品を創り出す、という物語は芸術に対する(根深く浅い)イメージとして通用している。その物語は確かにメディア向きでキャッチーだ。

しかし実際は、人と人との関係の中にのみ「パフォーミングアーツ」は生起すると今では思っている。自分が今携わっているのは音楽(と障害福祉)というフィールドだが、音楽は作曲家や演奏者の内側から外側へと伝わるというような「近代的な」世界観ではなく、演者と聴衆の関係の中で生起する流動的なエネルギーだと思うからだ。

つまり、ネットワークの中で音楽が起こるのであって、特異な一点から一方的に伝わるのではない。その構図はダンスにも当てはまると思う。

冒頭の話に戻ると、「振付家」や「演出家」が特異な一点として「作品を創り出す」という世界観に、作家の古びた妄執と、そこにしか活動の支点を作れないダンサーの悲劇を感じる。それらと距離をとる為には、自分たちが新たなネットワークを構築していくほか手段はない。

2019年3月24日日曜日

新作に寄せて

3/31に大久保ひかりのうまにて、新作を発表します。
詳細
そのリハーサルを休日に詰め込んで試行錯誤している。

新作のタイトルは"kq"、単純に呼吸と停止で構成する作品なので、暫定的にそう名付けた。
公表する作品としてはウン年ぶりの「作曲」作品である。どこまでが作曲でどこからが即興なのか、私はまだまだ不勉強で明確な定義を持っていないが、"kq"は3種類の呼吸の回数と停止のみが指示されている、ごく簡潔な「譜面」を目指して研鑽と検証とを繰り返している。

そのモチベーションは、前作"a440pjt"が、リハーサルを重ねた末の「即興」作品であり、自作自演が前提となっていたが、そこを捉え直す契機として、また、時空間の構成を予め決めることには構造的な強度が必要なのではないか、ということについて考えてみたかったからである。

そも、バンド時代から「譜面」を書くという作業をしたことがない私であるが、"kq"の「譜面」は、「戯曲」や「舞踏譜」、もしくは「コマンド」とも呼べるものに仕上げていっている。構成を手を使って書き出すという過程で、誤読される可能性をなるべく排除しようと整理、客観視「できる」とも「してしまう」とも言える、至って必然的な事象に初めて気づいた。いわば、構成を記号に置き換えて簡潔に表そうという過程で、構造という捉え方が不可避になってくる。

また、時空間を構造化していく時に、構造としての強さを模索(=簡略化なのではないかと考えています)していくと、既存の類型(起承転結とかソナタ形式とか)にもぶつかる。自分自身、つい類型を準えたりしている。それ自体が反省すべきことだとは思わないが、自分がこだわってきたこと;存在としての強度を強めるために、即時的な判断で時空間を構成していくこと、または、scscs時代のような口伝で構成する手法を大切にはしたい。つまり、類型の選択に、必然性や強い動機付けが必要なのだと思う。

"kq"に於ける暫定的な結論を述べると、類型に依る強さはある、が、構造を単純化していく中で必然性が失われれば、それは自分にとっては無味である。無味は一つの味なのかはさて置き、必然性に則ると類型がアレンジされていき構造は複雑化していく、いわば、個人の必然性と全体の構造的強度が相反する概念として自分の中にはある、という発見は何かしら含蓄があるように思った。

2019年2月13日水曜日

Sound Sample Market vol.1 を終えて

たった3回の公演だったが、自分のパフォーマンスについては毎回ブラッシュアップされていった。そして、12日夜の最終回は暫定的な回答と呼べるような、満足の行くパフォーマンスができた。

どんなに稽古をしても、お客さんの視線にさらされて初めてわかることは、舞台をやっているとママある。今回は特に自主企画だったけど共演者がそれぞれソロをやって、その流れ、醸成されて来た空気をどう受けるか。どう流すか。どう変えて行くのか。という経験は本当に久々に直面した。

でもおかげで、演劇やダンスでは行けない(と思う)ところの景色を観る事ができて、いま静かな満足感に満ちている。

お客さんに刺激的な言葉をたくさん頂けた。色んな感想があったけど、その中でも「死のイメージを感じた」というのが心に残っている。
それは、自分が自殺しようとした事があるとかいうことではなく、"物"になりたいという願望が「物体になった人間=死」なのではないだろうかと推測する。

何の変哲もないものを、美しく見せたいと思う。ロープの曲がり方、脚立の不安定さ、アルミホイルの輝き。それらと同化したいとは思っていないが、近づきたいという欲求は確実に自分の中にあって、近づく為に集中する、それによって平穏や調和が生起すると考えている。少なくとも自分の中では、うまくいっているときはその状態にいける。

耳を澄ます。目を凝らす。の延長にあるもの。感覚が研ぎすまされると、いつしか自我が薄れて行く、その境地。
そこに共感できるか、距離を持って観るかで、大きく反応が変わると思う。

「調和」がアーティストとしての活動のコンセプトであるように、私は自分が先ず救われたいが、同時に立ち会ってくれた方々にも同じ景色を観て欲しいと願っている。
その成功率が低いという意味では、"a440pjt"もまだまだ発展途上ではあると思うのだが、ここで一段落つけて次の作品作りに向けて動き出したいと思っている。

それは終止符ではなく、休符を置くようにいつか再開することを既に予感している状態だ。そして、他のプロジェクトを進める中でも何度も立ち返るし、その度に持ち帰れるものがあると思う。そういうライフワークに30代前半で出会えたことはラッキーとしか言いようがない。

SSM vol.1は残念ながら批評を生業としている方には立ち会って頂けなかったので、作品群に関するテキストが残らなかったのは痛恨ではある。できれば、批評ではなくても、多くの方に文章でそれぞれが感じた事、自身の中で起こったことを残して欲しい。

それがまた自分への刺激と確実になるし、周囲へも細やかに波紋を広げていけるのではないだろうか。

ご来場頂いた方、ギリギリまでご検討下さった方、遠くから応援して下さった方、本当にどうもありがとうございました。
精進致します。今後ともよろしくお願い致します。

2019年1月28日月曜日

想像力という言葉より可能性という言葉を使いたい

自分の生活と人生において、大切な物は可能性で、つまりは病気や老後に備えて毎月保険をかけるより自分に投資して感覚を肥やした方が良いと考えているアーティスト人生である。

先日、現代美術の批評家として名高い某氏が「文系は想像力の為の学問だ」というようなことをTwitterで仰っていたが、私は想像力という言葉より可能性の射程距離という言葉に置換したい。理系的な言葉使いの方が、いま私が生きる現実に対して有効だと感じる。

私は夢見ている、というキング牧師の有名な言葉があるけど、この力の言葉の強さは夢見ると宣言することによって抑圧された人々たちとそこに連帯できる人たちに、共有可能な理想の未来像を示唆したからにほかならない。

それは想像力というより、可能性の種を蒔くような作業だったのではないか、と思う。想像力や夢という言葉も現実的な力を持ち得るとは思うのだが、「夢があっていいですね」が何かしら堅実に生きている人からの切断を意味する時代だから、至って静かに「なんの可能性もない人生をお送りですね」と返してやりたい。(嘘です)

可能性、ならば生きている全ての人に関わりのある言葉であるように思う。無宿者でも定職に就きたいのか、気儘に生きて行きたいのかで、可能性の定義は異なるし、そこに可能性を残さないと押しつけになるよね、ということも今一度確認する必要があるだろう。

つまりは、可能性の射程距離の狭さが私たちの選択の自由を狭めていないか、という空気を感じるのである。しかし、その空気をなんとかしましょうよ、という展開も大切だが、世界にはこんな可能性があるのだ、というモノを提示することを私はライフワークにしている。

アーティスト人生を生きて行くことは生易しくはないけれど、常に可能性はあります。それは私が何者であるか自覚する為の営為であり、そこに先人がいたということだけを励みに、そして私もそのような後続への励みになろう、というだけの営為だ。それだけの可能性だが、決してその射程距離を侮る勿れ、と強く思うのである。