2019年7月20日土曜日

パフォーミング・アーツと言葉

ダンスの山下彩子と、せんだい卸町アートマルシェ2018で初演した『ヒト、ヒト、モノ』を映像資料用にリクリエーションしている。

『ヒト、ヒト、モノ』は、"a440pjt"で培ってきた自分のライブ・インスタレーションに山下のダンスが絡む共作作品で、初演では30分弱だったものを20分に収まるよう、無駄な手を省きつつ、いかに作品のキャラクターを強固にできるか試行錯誤している。

作品のコンセプトがなんなのか、明確に言葉で共有した訳ではない。"a440pjt"を頻繁に観に来てくれていた山下が、それにダンスを合わせてみたいという意欲を持ってくれたのがきっかけだった。

山下のダンス小作品『ササヤカなキモチについてのセイリ。』(2017)、『Tiny choices, Tiny things』(2018)で音楽を担当し、少しづつ堆積して来た共通項を深める作業であり、それらの小作品の枠では果たせなかった共作に挑戦した時間になっている。

本作の一端を敢えて言葉で説明すると、『ヒト、ヒト、モノ』における山下のダンスは、「気配のダンス」という言葉が初演のリハーサル時のメモとして残っているが、奇妙な生き物のような、土着の踊りのような、独特の空気感を纏いながら、自分が創り出す幽かな音の空間に共存している。音によって踊りがきめ細かく映り、踊りによって音への繊細さが高まる、そんな時空間が時折、産まれる。

初演時に、同じく卸町アートマルシェに参加していたスタンダップ・コメディアンの清水宏さんに口頭で「他人に自分の中の必然性を伝える為にロジックは必要なんだよ」というお言葉を頂いたが、本当にそうだな、と今でも思う。

映像資料に付けるアプリケーションや企画書に、自分たちのロジックを伝えるための言葉が圧倒的に不足していることを実感する。それは、作品が煮詰められていない、ということではないと思う。パフォーミング・アーツにおいて、微細な感覚を積み重ねて作品を創って行くと、往往にして言葉は遅れていく。

言葉を追いつかせる、という意味で、作品を「言葉に起す」批評は重要だと思うが、一つの作品を長期に渡って育てる為にも、いつの日かの「単独公演」以前に、様々な人に触れてもらえるようにしたいと考えている。

なので、ご興味ある方は佐々木(sasakisujin@gmail.com)までご連絡ください。リハーサルにお越し頂く、映像のリンクを共有するなどのカタチで、ご協力いただければと思っています。フィードバックは雑感で構いません。

あと、アプリケーションはいくつか出しますが、他所でも積極的に上演したい作品です。こちらも合わせてご助力、よろしくお願い致します。

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