2025年6月24日火曜日

私、呼吸でケージを超えるぜ ー"kq"CD編

その昔、"kq"CDを某古書店さんに営業に行った時、「こんなんただ呼吸している音が入っているだけでしょう(大意)」というようなご意見をいただいて、全くもってその通りですな、と思ってしまってヘラヘラ適当に笑っていたのですが、そんなことはないのです。

"kq"という拙作は、たしかにほぼ呼吸している音だけで構成されてはいるが、CDに入っているスタジオ録音した呼吸音、スローな「非楽音(ノイズ)」を聴いていると、不思議と落ち着くという身体作用が発生する「グルーヴィな(ノイズ)音楽」だと思っている。

さて、表題でっかく出ましたが、やらなければならないと思ってます。ジョン・ケージ(リンク先wiki)超え!

ケージの有名な作品『4分33秒』(1952年)は、「演奏」と(演奏によってしか生起しないとされる)「音楽」への疑義だと思っているのだけど、西欧近代的な美学へのアンチテーゼとして尖鋭化するあまり「フレームがないというフレーム」しかない。いわば、フレームを外した先に広がる荒野に「これが真の自由である」という看板だけが立っていると感じる。

私の立場からすると、「自由」は餅の絵を描いて看板を立てれば成し得るものではなく、身体と知覚へのアプローチを経て個々人のなかに起こり得るのだと考えている。自由は状況や定義ではなく、個々が感じ得る内的感覚の問題だと考えるからだ。

なので、「ほら、自由だ!それやるぞ!」というような自由観・芸術観を更新して、私は地に足をつけたフレームを提案する。フレームとフォーカスの必要性を、(自身と他者の)主観への作用可能性という観点から主張する。フレームとフォーカスを設定する以上、実は「上手い下手」が付随するのだがそれは傍に。

"kq"は、スローな呼吸音で時間を構成することで、演奏者と聴衆の身体の緊張を緩め、またその知覚を柔らかく広げ、内なる自由を味わうことへフォーカスされているのです。達成されるものは20世紀的な「真の自由」とは似て非なる、あなただけの個人的な自由になると思っています。決して「ただ呼吸している音が入っているだけ」ではないのです。

とかとか。"kq"を「上演」することは、また別のものだと思っているのですが。
CD試聴はコチラから。

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