2021年8月20日金曜日

自分の狡さや弱さと向かいあってないな、あれまぁ、というような、現在、その地点

私は今まで自分の「弱さ」、もしくは「特性」に向き合ってなかった。カウンセリングの時間などを介して、自分ごとを大分言語化できるようにはなって来たと思っていたけど、それはまた別の話で、自分自身を引き受けて来なかったと思うのは、以前の職場「カプカプ」の所長に貸された灰谷健次郎『わたしの出会った子どもたち』という本がきっかけで、貸された当時は戦後の貧しい挿話など、私が無知だと思われたのだろうか、私は野坂昭如の『火垂るの墓』を通読してますよ、余計なお世話ですよ、程度にしか思えなく、そのような勘違いが今となってはお恥ずかしいが、当時は重くて読み進められなかった。

最果タヒの『かわいいだけじゃない私たちの、かわいいだけの平凡。』を読んだあたりで、自分に亀裂が入り、「魔法少女」という「特別」にこだわってしまって、周囲との人間関係を素直に築けなかった主人公の、成長譚、「魔法少女」を、「音楽」「舞台芸術」もしくは「芸術」に置き換えたら、まんま自分の話やんけ。まぁ、最果タヒの主人公はそこで友人を助けたいっていう自分の感情に素直になるっていう成長、というお話なのだけど、それはさておき、自分は自分が「音楽」をやっていることを特別なこととして捉えてはいなかっただろうかと自省したのですよ。「売れない」「マイナーな」「ニッチな」というか、そもそも「音楽」を莫迦にしながら時間を切り売りしている労働者たち、彼らを同じ世界の住人として捉えていたのか、と。彼らのゲームを降りることで自分を許してはいなかったか、と。

それは別に音楽を辞めて自分も通勤ラッシュに揉まれようという話では勿論なくて、ただ最果タヒのポップな文章の後に、灰谷健次郎にシュッと手が伸びて、まだ読んでる途中だけど、灰谷の文章の登場人物たちの貧しさと共にある誠実さと、夜間高校に通っているという「特別」に甘えてしまったという作者自身の自省から、自分が抉られて、炙られて、ぐるぐると掻き混ぜられて、あれまぁ。真摯な自省の言葉は読者にも自省を促す。

音楽をやってる、誰も作れないような音楽が作れる、けど、私の問題は私が負わなくてはならない、というような、当たり前のこと。その意味で、労働者、学生、引きこもり、ニート、障害者、「強者」、弱者、と同じ。その当たり前から目を逸らし続けた私は、障害者施設で働いていたけど、真の意味で彼らのことを同僚として思えていたのか。社会問題、そこから降りる以外の積極的な解決法に取り組んできたか。それらの問題は全て私の芸術に対する盲信からきていたし、その為に盲信していたと自責している。信仰は悪いことではないけど、盲信はダメでしょ。

灰谷の本はまだ途中だけど、答えは自分なりには出ていて、謙虚に周囲から学び続けること、よく観察し感じとること、そして創り続けることだと、思うのです。現在、その地点。

2021年8月1日日曜日

音楽の譜面で演劇の戯曲賞に応募した話

育児はパートナーと分担してやってるわけですが、それでもなかなかに忙しいわけで、毎日やってることといえば喫煙、そうだこれで作品でも作るか、と思い立ったが吉日、ほぼ呼吸音で構成した"kq"(ケーキュー)の成り立ちであります。

というのはショボぴ〜な嘘で、"kq"の起源は、パートナー山下彩子のダンス作品"tiny choices, tiny things"で呼吸音のみの生演奏で伴走したのがきっかけです。その時は、もっと強い発音も混ぜて緩急作ったんですが、それから、おお、これでソロ作れる、やったやった、ってなって初演は2019年3月、『声が言葉を失う時』という楽器なし、声のみでパフォーマンスするっていうルールの、ザジさんのイベントで、SM58(マイクね)とスーパーボール1つ使って(反則ギリギリ)30分やったのですが、スーパーボールが開始早々あらぬ所に転がっていく始末、事前に準備していた作曲構成吹き飛んで、即興で息だけの30分を上演したのでした。

それからずっと温めて、寝かして、というか忘れていたわけでしたが、愛知県芸術劇場主催のAAF戯曲賞21に譜面で応募しよう!なんかいいじゃん!と不意に閃いて、ところが、自分の譜面にできるような、作曲作品のレパートリーなんて"kq"しかないじゃん!となった次第。

それから仕方なく再度呼吸音と向き合う退屈な日々、且つ、まぁ演劇の戯曲賞に音楽の譜面で応募するからには、と、それなりの付け焼き刃で理論武装しなければ、アルトー『演劇とその分身』ケージ『小鳥たちのために』を斜め読みして、戯曲賞に譜面で応募する意義をでっち上げ、る、のが大変、譜面と向き合いながら、小難しい言葉でいかに煙に巻くかを思考、試行する日々、育児と家事の隙間時間をフル活用。

新生"kq"の方はコンセプト事前に決まってて、「ひとり遊びのように自分に集中することで時空間を構成する」というのがあったので、案外するすると進む、が、そこは呼吸音、自分でパフォーマンスするなら、如何様にもできる部分を書き言葉、もしくは記号で伝えなきゃ聴く気になるような音にならないわけで、聴く気になるような音にならないものを譜面にしたところで相手にされまい、そうだ、テキストを付けてみようと思いついた、は、いいものの、テキストがグチャグチャ、良くいえば奇想天外、まぁ拙い。

ということで。記譜とテキストとロジックを同時進行せねばならない。四面楚歌より四面楚歌。そっか、ってことで、這々の体で形になったのが締め切り3日前。ってのは盛り盛り。

で。これ人が読んでも伝わるのかな、ってのが最大のネック、なんせ独自の記譜法と自前のテキストで呼吸音の微妙なニュアンスを指示しなきゃならないわけで、そこで必要なのが親愛なる友人。今回はへちまひょうたん、ことヒメノにお願いして、譜面だけ渡して感想を聞こうという魂胆。そうしたら、ヒメノ、突如軽トラを爆走させ、音楽スタジオまでかっ飛ばし、日夜こもって試してくれる徹底ぶり、一部、盛り盛り、真面目な友人、本当に助かりました。当然、フィードバックも微に入り細に入りの徹底ぶり。本当に助かりました。

ということで、無事に3日前に発送、締め切り前日に到着とのこと。無事に応募できたのでした。音楽の譜面で。演劇の戯曲賞に。はて、さて。