2020年9月3日木曜日

詩を書くことと私的なこと

 詩を書くのが好きだ。中学生の頃から詩を書いていたので、かれこれ20年以上になるけど、つい最近までそれを人目に晒すことはしなかった。

きっかけは、コロナ禍で自分の活動の先行きが見えなくなった時に、思考や感覚を外部に接続する手段が他になかったからで、止むに止まれずTwitterで公開しはじめた。そうすることで少しバランスを取り戻せた。

もちろん、反響などなかったが。(リプやファボしてくれた知人たち、どうもありがとう)それでも1ヶ月くらい毎朝、詩を投稿していたら、それまでの、自分の為に言葉を綴っていた感覚が変わってきてしまって、最終的に詩が書けなくなった。

今日気づいたこととして、自分は質素に暮していると思い込んでいたが、時間に関しては贅沢したい人間だったんだとわかった。

詩を書く時間は、それの象徴のようなもので、ゆったりした時間の流れにドップリ浸かって、少しずつ、感覚に言葉をあてはめては、薄皮をめくるように自分の内面を剥がしていていく作業だった。

その言葉を与えられた感覚たちは、羽化したばかりのセミの羽のように繊細であったし、そうあるべきだった。

人目に晒すという自意識のフィルターを通すことで、段々と言葉は強くなれてたかもしれない。でも以前のような言葉の紡ぎ方を、忘れてしまった。

いまは育児が忙しいから、時間が贅沢には使えない、というのもある。しかし、自分の中に大切にしまっておくべき物と、外部との接続の手段は、きちんと分別をつけるよう気をつけよう。僕とは自明なことではない。それを維持する時間を、タイトに選べるクセを身につけようと思った。



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