生まれてからずっと母は不幸せそうだったので、私が在ることが原因なのだと思い込んできた。私の存在が母を不幸にしていると思っていた。そこからの逃走と拒絶が私の半生だったのだと理解してしまった、昨日、突然に。私が存在する根拠を母に求めないこと、すなわち、自分が存在する理由はきっと他にあるはずだと、舞台に飛び込んだ。
母はまだ健在ですが、自分の存在理由が揺らいでいるから気づけたのでしょう、だらだらと。音楽と人間、呼吸、自然・宇宙を配置した図を描いたんだよね。その中ではひとりひとりが呼吸という運動をしていて、その心、潜在意識の奥できっとつながっている、人も、自然も、宇宙も。その図の中で、音楽は潜在意識をつなぐメディアだった。
だから、私にとって音楽はドレミの構成ではなく、宇宙との調和と不調和がもたらす時間の陰影の如きものと考えているのですよ。ワンネイション、アンダー・ア・グルーヴ、その中で呼吸すること、そして皆呼吸していることも、つながって。身体であり、宇宙でもあり、精神でもあるものの、運動で。呼吸、宇宙からの抱擁。つながって、その運動が、ダンスに為るのかどうか、というような。
興味の根源が非言語分野なんだな、どうしても。存在が時間とともにアイスのように溶けていくのが好きです。新年おめでとうございます。
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