文・佐々木すーじん
イベントや公演をやる人間として身近な話からはじめます。恐縮です。
自分のイベントの時に上演中に空調の音がするのがイヤで、開演前にスイッチを切る。するとその「場」から空調の作動音が消え、自然にお客さんも黙ってしまい、まるでもう開演するかのようにシンと静まりかえってしまうことが、よくある。
7度の『東京ノート』はこの空調を切ったタイミングで山口真由さんが話しはじめた。油断ならない声のトーンだった。
そこからしばらく、平田オリザ作『東京ノート』がどのような戯曲か?という粗筋や、青年団『東京ノート』初演時が1994年で、91年に湾岸戦争、92年にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争があってPKO法の成立、それが何の略語か、当時子どもながらにどんな思いがあったか、などの「予備知識の補足」をアナウンスする。山田裕子さんも山口さんの横に着いて合いの手を差し挟むのだが、まるで仲の悪い漫才師のように不穏な空気が続いていた。
不穏さの原因は山口の語り口のようだった。その硬質な声のトーンは、不器用な人が親しげにしようと努めてるのかと最初は勘違いした。しかし、ぎこちなさはなくむしろ流暢なのだが、全く親密さを感じさせない語りかけが続いた。まるで観客を牽制するようだった。
そのトーンはシームレスに始まった上演中の台詞の発語も同質であった。ただ、上演中の台詞は全て、『東京ノート』からの引用だったようだ。(原作を購入する気はないので確かめない)
山口と山田、俳優2人で『東京ノート』を再構成するのだと私は勘違いしていたが、『東京ノート』に出てくる他愛もない親族たちの会話や、架空の戦争へのリアリティのある台詞たちのほとんどを山口が発語した。それも、イタコのように様々な登場人物を己に宿して発話する、というのではない。しかし、無機質に機械的に読み上げるわけでもない。登場人物とその台詞のトーン、抑揚、テンションやニュアンスの温度感を細かく使い分けている。これだけでも超人的な技巧であり気の遠のくような稽古量を想像させる。
亡霊が語っているような質感は、堀企画『トウキョウノート』を思い出さずにはいられなかった。だが、「上演前のアナウンス」の時間に「物理現象としての声は、どんなに時間が経ってもごく微量の波が残っていて、それを捉え拡張することで100年前の声でも再生できる」という唐突に挟まれたエピソードを思い起こす。それは「設定」ではなくある種「信仰のようなもの」に基づくのだと気づく。
ここからちょっと迂回していくつかの要素を確認しつつ、その直感を説明したい。
原田裕規氏の、とりとめもない家族写真をとりとめなく手にとっては眺める様子を長回しで撮影した映像《One Milliom Seeing》がプロジェクションされているなかで、山口が発語する『東京ノート』をコラージュした台詞たちは、誰のものかわからない、他愛ない「平和な日常風景」と、かけがえのなさ、とりかえしのつかなさとをつなげていく。上演中に何度も山口は古い(とアナウンスされた)デジタルカメラでシャッターを切り、その度に会場BUoYのコンクリート剥き出しの壁が、フラッシュで切り取られ照らされる。原田の映像作品とのつながり以上に、一瞬しか切り取らない即時性、しかしその一瞬にそれまでの被写体の関係性・連続性が残る写真というメディアの特徴が、7度『東京ノート』という演劇作品との相似形を連想させる。そして戯曲『東京ノート』にあらかじめ埋め込まれた「戦争」というトピックに対し、それまで佇まいや緩慢な歩みで存在を示していた山田(衣装も黒子のようだった)が発語する「戦争反対」(青年団の上演ではやや空疎に発話されていたと記憶する印象的な台詞である)の切迫感のあるリフレインによって、現在の我々が「互いに」、また「戦争」と、90年代とは異なる距離感にいることが暗示される。
では、なぜ山口(山田とは対照的に衣装はFunnyで不思議な質感のものを着ている)は、ノスタルジーに絡め取られるでもなく観客を牽制までしながら90年代に書かれた台詞たちを静かな強度で語り続けるのか。その衣装から「トリックスター」という概念が頭をよぎる。しかし安易にそれらと結びつけるには違和感が残る。それらの特徴が「社会秩序や既成概念を超越する(もしくは、してしまう)」強靭さや軽薄さであるとするなら、禁欲的で台詞とも観客とも一体化することを拒絶する山口の振る舞いは、何か大切なものに近づこうとする意志とその行為への贖罪を感じさせた。その真摯さ、誠実さが捧げられている対象は、しかし、西欧的な神のような絶対者ではない。ただの人の、匿名の、とりとめもない生活、会話、関係、それらをまた「ただの人」であるアーティストが肯定的に「かたる」ことへの、不均衡、傲慢さを、その時の自身の立ち位置の曖昧さを、直視し受け止めようとしていたのではないか。
1994年に書かれた戯曲を2025年に再構成して80分ほどの「一瞬」を切り取る、7度『東京ノート』は、写真とは異なり誰かが書き残した言葉でしか残らないが、その強度は私の心の中に像を結んでいる。
7度『東京ノート』2025/11/27- 30 会場・北千住BUoY
原作・平田オリザ 構成台本・7度 演出 伊藤全記(7度)出演 山口真由(7度)・山田裕子