たった3回の公演だったが、自分のパフォーマンスについては毎回ブラッシュアップされていった。そして、12日夜の最終回は暫定的な回答と呼べるような、満足の行くパフォーマンスができた。
どんなに稽古をしても、お客さんの視線にさらされて初めてわかることは、舞台をやっているとママある。今回は特に自主企画だったけど共演者がそれぞれソロをやって、その流れ、醸成されて来た空気をどう受けるか。どう流すか。どう変えて行くのか。という経験は本当に久々に直面した。
でもおかげで、演劇やダンスでは行けない(と思う)ところの景色を観る事ができて、いま静かな満足感に満ちている。
お客さんに刺激的な言葉をたくさん頂けた。色んな感想があったけど、その中でも「死のイメージを感じた」というのが心に残っている。
それは、自分が自殺しようとした事があるとかいうことではなく、"物"になりたいという願望が「物体になった人間=死」なのではないだろうかと推測する。
何の変哲もないものを、美しく見せたいと思う。ロープの曲がり方、脚立の不安定さ、アルミホイルの輝き。それらと同化したいとは思っていないが、近づきたいという欲求は確実に自分の中にあって、近づく為に集中する、それによって平穏や調和が生起すると考えている。少なくとも自分の中では、うまくいっているときはその状態にいける。
耳を澄ます。目を凝らす。の延長にあるもの。感覚が研ぎすまされると、いつしか自我が薄れて行く、その境地。
そこに共感できるか、距離を持って観るかで、大きく反応が変わると思う。
「調和」がアーティストとしての活動のコンセプトであるように、私は自分が先ず救われたいが、同時に立ち会ってくれた方々にも同じ景色を観て欲しいと願っている。
その成功率が低いという意味では、"a440pjt"もまだまだ発展途上ではあると思うのだが、ここで一段落つけて次の作品作りに向けて動き出したいと思っている。
それは終止符ではなく、休符を置くようにいつか再開することを既に予感している状態だ。そして、他のプロジェクトを進める中でも何度も立ち返るし、その度に持ち帰れるものがあると思う。そういうライフワークに30代前半で出会えたことはラッキーとしか言いようがない。
SSM vol.1は残念ながら批評を生業としている方には立ち会って頂けなかったので、作品群に関するテキストが残らなかったのは痛恨ではある。できれば、批評ではなくても、多くの方に文章でそれぞれが感じた事、自身の中で起こったことを残して欲しい。
それがまた自分への刺激と確実になるし、周囲へも細やかに波紋を広げていけるのではないだろうか。
ご来場頂いた方、ギリギリまでご検討下さった方、遠くから応援して下さった方、本当にどうもありがとうございました。
精進致します。今後ともよろしくお願い致します。